リー・スモーリンは近著『迷走する物理学』で、物理学の現状に対する不満と懸念を表明している。その中の一文を引用する。(≪≫内は、訳=松浦俊輔:『迷走する物理学/リー・スモーリン著』からの引用。)
≪ partV ストリング理論を超えて
15 ストリング理論以後の物理学
‥‥ストリング理論、ループ量子重力などの研究方法について、他にどんなことが言われようと、*その方面では何も実現していない。よくある弁解は、この規模での実験は実行が不可能ということだった――しかし、すでに見たように、そんなことはない。理由は他にあるにちがいない。われわれがみな見落としている基本的なこと、みんなが立てている間違った前提が何かあるのだと思う。もしそうなら、その間違った前提を取り出し、それを新しい考え方と取り替えなければならない。
その間違った前提とはどんなものだろう。私の推測では、量子力学の基礎と時間の本性という二つのことにかかわっているのではないか。すでに前者については述べた。最近、量子重力の研究がきっかけとなって、量子力学に関する新しい考え方がいくつか提起されており、希望が持てる。しかし、私は時間が要なのではないかと強く思っている。量子論と相対性理論は、時間の本性については根本のところで間違っているのではないか。そんな思いが強くなっている。両者を統一するだけでは十分ではなく、たぶん物理学の起源にまでさかのぼるような、もっと深い問題が在るだろう。
‥‥‥ ≫
*実験とか観測による検証や証明が全く為されていないことを指している。
よく知られているように、物理学は19世紀末から20世紀初頭にかけて驚異的とも言えるめざましい進展を見せた。『相対性理論』と『量子論』の誕生がそれである。
しかしそれ以後の物理学は、今日に到るまで、大筋でこの二つの理論の継続的推進でしかない。すなわち当時のような衝撃的な新しい展開というものは何も無い。あるいは大多数の物理学者は、もはやそのような画期的な新しい理論など望めないし必要でもないと考えているかも知れない。けれどリー・スモーリンが指摘しているように、今日の物理学すなわち2大理論の“継続的推進”の現状が芳しくないのは確かで、彼が感じている行き詰まり感と、打開を希求する気持ちは尤もに思える。
とはいえ、リー・スモーリンの指摘と見解に全面的に賛同できるわけではない。むしろ大きな不満を感じないではいられない。それは彼がせっかく《両者を統一するだけでは十分ではなく、たぶん物理学の起源にまでさかのぼるような、もっと深い問題が在るだろう。》とまで指摘しながら、全編を読み通した時、その主張が結局は“修正が必要”という段階にとどまっているのを感じるからである。“起源にまでさかのぼる”というのは、一度すべてを白紙に戻すことだし、実際新たに何かが得られるとすれば、その新しいものは大概は既存の理論を根底から覆してしまうものなのである。既存の理論のなにがしかを残したままで(不用意に肯定して)、不都合が解消されるとは到底思えない。
さて、課題は二つある。一つは相対性理論および量子論という二つの基幹理論に潜む不備や欠陥を明らかにすること、今一つは現在頻繁に見受ける決して好ましくないある種の“研究の進め方”に対する見直しである。どうやらリー・スモーリンはこの現在の“研究の進め方”の方により大きな問題があると見ているようだが、私の見解は違う。私が研究した限りにおいて、最も大きな障壁となっているのは相対性理論である。相対性理論を排除しない限り、物理学の将来はないと断言できる。量子論のほうは未だ研究途上にあると言って良いだろう。
ここに公開するのは、そういった相対性理論および量子論に関する私個人の見解であるが、冒頭に紹介したリー・スモーリンの(あまり具体的ではない)希求に答える試みになっているかも知れない。第1章〜第3章は、アインシュタインの相対性理論の否定であり、第4章〜第5章は、物理学の未来(量子論の発展)のために役立ちそうな新概念の提示である。
(2010年8月 起)