津山市の神社(総社神社)
地図
祭神
主祭神大己貴命 (おおなむちのみこと)
相殿神鏡作命 (かがみつくりのみこと) - 中山神社(美作国一宮)祭神
鵜茅葺不合命 (うがやふきあえずのみこと) - 高野神社(美作国二宮)祭神
美作国内の神
歴史
古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近く
に国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの美作国の総社にあたる。
社伝によれば、欽明天皇25年(564年?)に現在地より約1km西にある本館(ほんだて)に大己貴命を祀ったのが
始まりという。ただしその根拠は不明で、室町時代末期までの当社の沿革は明らかでない。
奈良時代初期の和銅6年(713年)に備前国北部6郡を分割し美作国が設けられ、和銅7年(714年)には国府
が置かれたと伝える。その後、美作国司により現在の亀甲山に遷座するとともに、中山神社・高野神社
など美作国65郷全てを合祀し美作国総社と定められたという[1]。鎌倉時代に入り国府は廃れたが、当社は
美作三大社の一社として崇敬されたと伝える。
確かな文献により当社の沿革が明らかとなるのは、永禄12年(1569年)、当地に進出してきた毛利元就によ
り所領が安堵されて以降である。その後は領主からの崇敬は篤く、江戸時代には津山藩主の森氏・松平氏
から社領の寄進も受けた。
明治維新後、近代社格制度において県社に列したほか、神饌幣帛料供進神社に指定された。