岡山県 総社市 総社神社

総社神社
地図

概要
鳥居
岡山県南部、総社市の中心部に鎮座する。市名・駅名の「総社」は、当社に由来する。古代、国司は各国内の全ての 神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、 まとめて祭祀を行うようになった。当社はその1つで備中国の総社にあたる。

前庭の三島式庭園は古代の様式を今に伝えており、後楽園が築造される際に参考とされた。 現在、境内は総社市指定史跡に指定されている。

祭神
主祭神大名持命(おおなもちのみこと、大国主命)須世理姫命(すせりひめのみこと) - 大名持命の正妻。 相殿神御鎮魂八柱神 - 高皇産霊神、神皇産霊神、魂留産霊神、生産霊神、足産霊神、大宮売神、事代主神、御膳神の8柱。 備中国内304社の神 - 官社(『延喜式神名帳』記載の神社)18社、田社(国司の神名帳記載の神社)。

歴史
当地には総社ができる以前、仁徳天皇の皇妃・八田皇女の名代として八田部(八部)が設けられたという。 のち御友別(応神天皇妃の兄)の子孫が当地に移住し国造となり、野俣神社(現 境内社の沼田神社)を建て 周辺一帯の総社としたとされる[3]。大化後、当地に備中国総社が創建された[3]。平安時代中期、『延喜式神名帳』 には式内社として「備中国賀夜郡 野俣神社」の記載があるが、沼田神社はこの論社とされている。

室町時代には戦火に遭って社殿が焼失、1429年に再建されたとされる。天正年間(1573年-1592年)に再び焼失、 貞享4年(1687年)に再建され、彩色二十四孝の絵馬が奉納された。これにより商家の信仰が増し、 豪商の西戎屋等により京都の一流画家の描いた絵馬が奉納されるなどして繁栄した。周辺は門前町・宿場町とし て発展し、のちの総社市の礎を築いた。

明治5年(1872年)11月、近代社格制度において県社に列した。