豊臣秀吉が備中高松城を水攻めした跡
豊臣秀吉が備中高松城を水攻めしたときに足守川から水を引いたといわれている場所に碑が立っています。
場所は足守駅の線路南側の足守川東側橋が架かっている。ところにあります。
豊臣秀吉が水攻めをしたときの陣屋跡
豊臣秀吉が水攻めをしたときに陣屋を築いたときの後だそうです。今は何もありません。
足守神社の東の小高い丘がそれに当たります。時間があったらいってみてください。
高松城の跡ですJR吉備線(桃太郎線)備中高松駅を東に10分ぐらい歩いた所にあります。
史跡舟橋
高松城は平城で三方を堀で囲まれていたが、この南手口には具足の武士がようやくすれ違う程の細い
道があったが開戦直前に八反堀を堀り外壕とした。そこへ舟を並べて船橋(長さ約、六十四米)となし、
城内より進攻の際はこれを利用し又、退く時は舟を撤去出来る仕組で城の西北の押出式の橋と共に大き
く防備の役を果たしていた。