和気神社
本殿・拝殿(町指定文化財)
現存の建物は、明治18年より順次建替えられたことは棟札によって確認できる。
明治18年に本殿、明治20年に幣殿・釣殿・拝殿、明治28年に随神門がそれぞれ建立されている。
一連の建造物の大工棟梁は、邑久郡の「田淵耘煙斎勝義」である。明治の建築とはいえ、邑久大工の代表的な建築様式であり、
装飾彫刻類もすばらしく、和気町指定文化財になっている。
「足腰」の神様・開運厄除イノシシ
−狛犬ならぬ 狛亥(こまいのしし)−清麻呂公は「道鏡事件」により大隈国に流された。
その途中、お礼のために宇佐八幡宮に参詣しようと豊前国の海岸から陸路、御輿を進められた。
すると、どこからともなく、約三百頭の猪が突然現われて、清麻呂公の御輿の前後を守りながら
八幡宮までの約十里の道を無事にご案内した(「日本後紀」巻八)
また、足が萎えて歩けなくなっていたところ、猪に案内され「霊泉」に足を浸けるとたちどころに
足がもとのとおり治り、歩けるようになった。以来、猪は清麻呂公の随身、また足腰の守護として
崇められ、当社では狛犬がわりに「狛いのしし」が拝殿前・隋神門前で守護する。
子供の守り神 −子宝・安産・初宮−
広虫姫は孤児83人を自分の養子として育て、立派に世に送り出した。
清麻呂公は、私学校「弘文院」の基礎をつくり、子弟教育・人材育成に尽力された。
以来、「こもりさま」と親しまれ、「子供の守り神」と崇敬されている。
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