○読んだ本・眺めた本

2010年01月24日

 小谷野敦編著 『翻訳家列伝101』
新書館、1800円+税

新書館、1800円+税
 翻訳家の経歴は意外にわからないものです。読書人の青春時代に存在感を覚えていた翻訳家でも、原著が風化してすると同時に運命を共にして、人名事典にさえ見あたらないことが多いものです。

その中で、本書は101人(言及はさらに90人)の評論家の伝記、エピソードをとりあげているので貴重です。それのみか、黒岩淚香の項に「乱歩による『幽霊塔』といい、『巌窟王』『嘻無情』といい。私には、森鴎外や上田敏などより、黒岩淚香のほうが、よほど明治の大翻訳家の名にふさわしいと思う。鴎外や敏を尊重するのは、純文学偏重の悪い癖であろう」といった率直な評言を加えるなど、共感を覚えるとともに、読み物としてもおもしろい。

 大久保康雄……「昭和の黒岩淚香とも言うべき、翻訳界に君臨した人物で、特に『風と共に去りぬ』の名訳で知られる」「職業翻訳家の草分けだが、学者でなかったためアメリカ文学界からは冷遇されている気味があって、その生涯を語ろうとする人はいないが、弟子の永井淳は、その翻訳目録を作成した」

 吉川幸次郎……「シナ文学界の天皇と言われ、かなり威張った人らしく、悪評も多いが、ここでは漢文のみの業績ではなく、『水滸伝』の翻訳家として扱うことにする」「しかし吉川『水滸伝』は極めて特異な翻訳で、もともとが講談であるから『ですます』体で、『ぼおい』『てえぶる』といった表現が多く、『新円』でとか、シナの官位を日本のそれに直したところも多い。駒田信二が弟子の高橋和巳に、それを伝えるよう言ったところ、私には言えませんと言われたので手紙を託した、と駒田が書いている」

 というように、単におもしろいだけでなく、読書に参考になるようなエピソードを集めています。ハーンの全作品を訳した平井呈一についても、川上音二郎の番頭の子として生まれたこと、永井荷風に師事して贋作に走り、破門され、怪奇幻想文学の翻訳家として復活、盛名を得るまでが記され、ほかにスキャンダルはいくらでもあるが、平井の業績と人間性を正当に理解する上で、バランスのとれた配慮をしています。

 そのほか、ミステリやSFなどのジャンルについても詳しく、類書のない企画として拍手つきで推薦します。