○私の旧刊

2010年02月07日

 古本屋探偵の誕生と死
三一書房 (1982)

三一書房 (1982)
 私が初めて古書ミステリを手がけたのは一九八二年であるから、もう四半世紀も昔のことになる。当時までの古書を扱ったエンタテインメントといえば、梶山季之『せどり男爵数奇譚』などを除けば、せいぜい夢野久作の『悪魔祈祷書』やマルコ・ペイジの『古書殺人事件』、それに野呂邦暢『愛についてのデッサン』などが思い浮かぶにすぎなかった。

 そんな時期に古書ミステリを書こうという気になったのは、雑誌「幻影城」の編集長だった島崎博氏(*注)と関わりがある。いまやミステリ愛好家の間で伝説的な存在となっている島崎氏は、一九七〇年代の半ばごろ、神田神保町で古書店を営んでいた。当時都営地下鉄線の神保町駅が開通したのを機に靖国通りに建設された、小宮山書店ビルの中二階である。

 かねてミステリ本の収集家として知られた島崎氏が「本を集めるには古本屋になってしまうのが一番」という考えで開業した店である。小さな貸室内で他の店と同居にせよ、大衆文学を含めて二千冊ほどが並べられ、毎日のようにウブい品(保存状態のよい珍本)がザクザク入荷するので、店はたちまちコレクターの梁山泊となり、店主対コレクターの虚々実々の駆け引きなども目にしているうちに、私は古書収集の世界を小説化したらと思いついた。主人公はさしずめ私のような脱サラ人間である。そのころまでの私は一念発起して古書店でも開業しようかなと、瞬間風速的に考えたことがないでもなかった。しかし、古書店は一に仕入れ、二に仕入れである。仕入れが出来なければ自分の蔵書を売り尽くし、敢えなく廃業という、無名時代の江戸川乱歩の轍を踏まなくてはなるまい。私には市で高価本を百円差で競り落とすような芸当なんか、とても出来ないことは知れていた。

 それなら、小説の中で古書店主となればよいではないか。場所は神田の一等地、靖国通りの車が増え始める真夏の午前中、店を開けてレジに坐っていると最初の客が訪れ、店主に奇妙な探求書依頼をする……。このとき、私の脳裏に浮かんだのはクリスティーの『パーカー・パイン登場』だった。「あなたは幸せ?」という新聞広告につられ次々に訪れる奇妙な依頼人。では、こちらは「本の探偵、昔の本、今の本、何でも見つけます」という広告を出す設定にしよう。そう思いついた瞬間、私は半分まで書けたように思った。

 残る半分は奇妙な依頼人だが、モデルはすぐに見当がついた。Kという詩書収集家で、見かけは実直ななサラリーマンだが、「書籍収集のコツは殺意である」という物騒な考えの持主。かつてライバルの蔵書家が死んだ際、通夜に押しかけ、線香を一本あげた後、夫人に「じつは故人の生前に本をお貸しした者ですが」と切り出し、みごとに狙っていた本をせしめたとういう自慢話を本人の口から聞いたことがある。ミステリのキャラクターとしては、まさにお誂え向きといえよう。

一気に書き上げた。すぐに『幻書辞典』の標題で出版され、二ヶ月間に四刷を重ねた。中島河太郎先生からは「批評だけでなく作品を書いたのは、勇気あることです」と、ヘンな讃辞を頂戴した。読者カードが続々返ってきたこともうれしかった。その中に一言「ありがとう」というハガキを見つけた時には、読者から賞をもらったように感激した。二、三作でやめようと思っていたのが、この一言でもう少し続けてみようと思った。

 回想が長くなったが、私は数年前の『神保町の殺人』を最後に、古書ミステリには手を出していない。これまでの成果は長中編八作(別に改題のうえ一部書き改めたもの三編)だから、才能の不足には相違ないが、客観的な事情としては筆の立つ古書店主が輩出し、興味深い業界裏話を書きはじめたということがある。元来私は古書業者の生態よりもコレクターの内幕に焦点を合わせてきたのであるが、K氏のようなパワフルな収集家が次々と世を去り、小説のヒントになるような人物が影をひそめてしまったという事情も大きい。

 古書ミステリも小説である以上、本と人間との関わりを描かなければならない。そのころ評判になったジョン・ダニングの『死の蔵書』や『幻の特装本』を参考に読んでみたが、登場人物がハードボイルドの世界に属し、日本の古書界とは無縁のように思えた。警官が古書通であるという設定からして、日本の状況からほど遠いのである。

 私の作品に寄せられる感想も、以前とは様変わりして、初版当時には考えられないブーイングも出現しはじめた。「殺意の収集」という短編で老愛書家が「蔵書一代、人また一代、かくてみな共に死すべし」とつぶやく場面を描いたところ、当時はこれがニコラス・ブレイクの『野獣死すべし』(ポケット・ミステリ)に出てくる「野獣死すべし、人また死すべし、かくてみな共に死すべし」という詩のパロディであることは自明と思い、あとがきには単に「先刻ご承知のことであろう」とのみ記すにとどめておいたところ、「そんなことはわかるわけがない。私は知りません」というお叱りを受けた。考えてみれば乱歩選「一九三五年以降のベストテン」が共通の知識であった時代は、とうに過去のものとなっていたのである。

 従来の古書ミステリは、稀覯本の奪い合いなどが主題で、いわばモノとしての本の存在感を前提としてきた。しかし、インターネット時代になって能率的に本を探すことができるようになると、情報小説という方向に活路はあるかもしれないが、ある一冊の古書を存在感豊かに描き出すことは難しくなってくる。古書ミステリは書物そのものの価値観や知識において共通の基盤がなければ、古本を点景とする風俗小説にならざるをえないような気がする。私にはまだ一つだけ温めている古書の物語があるが、『古本屋探偵最後の事件』として作品化できるかどうかは甚だ心許ない。

*注 島崎博は台湾出身の推理小説研究家・編集者。本名傳博。日本留学〜滞在中(1955-79)は雑誌「幻影城」(1974-79)の主宰として、あるいは三島由紀夫書誌編纂などの業績を残した。2008年、21年ぶりに再来日を果たし、本格ミステリ大賞功労賞を受賞。現在台湾にあって日本の新しい推理小説の翻訳、普及に力を注いでいる。
                  (「ミステリマガジン」2007年9月号)