○コラム

2016年12月17日

 ピコ太郎とガス抜きソング
イメージ(チェスタートン)

イメージ(チェスタートン)
ピコ太郎のPPAP≠ェ大人気で、動画視聴はなんと一億回を超えたとのこと。このように「意味不明な」「ばかばかしい歌」は、考えてきれば日本史上のいわゆる不安の季節に発生した退行現象ともいえるものです。

話はいきなり飛んで、将軍綱吉や改鋳や重税で庶民を苦しめ、米価は十倍に騰貴した元禄九年(1696)、京につぎのような落首が出ました。
 米の音も五月にや下がる京童 ないそなないそ遅れて六月(「諸国落首咄」)

ないそなないそ≠ヘ、当時大流行していた「ないそなないそ五月にや戻る」という歌をもじったもので、この意味は不明です。ロドリゲスの『日本語文典』(1604〜1608)には、むかし、九州地方の方言に「ナナイソ、ナイソ」という表現があったようですが、歌詞の意味がそれで解けるわけではないのです。

幕末維新の騒然たる世相のもとでは、歴史好きでなくとも知っている歌が流行りました。

ええじゃないか、ええじゃないか
 かわらけ同士がはち合うて
 双方にけがなきゃ
 ええじゃないか
 
 江戸の横浜石が降る そりゃええじゃないか
 ここらあたりは雨が降る
 そりゃええじゃないか

自然発生的に生まれたお蔭まいりの老若男女が、この歌をうたって狂気乱舞しながら、大挙して東海道を下り、時折お札と称して小判も降ったというもので、倒幕派の攪乱政策ではないかともいわれますが、要はエネルギーの解放をもとめての、伝播性の強いマスヒステリーであったことは確かで、現代のガス抜きネット炎上騒動と好一対をなすものといえましょう。時代の狂気というものは本当にあるもので、私たちも知らず知らずのあいだに、巻き込まれているものです。

ところで、戦中の子どもたちの間には、こんなばかばかしい歌が流行していました。

 万里の長城で 小便すればヨー
  ゴビの砂漠に 虹がたつヨー

  椰子の葉かげで 昼寝をすれヨー
  ワニが出てきて キスをするヨー

これはほんらい軍隊の間に流行ったものということです。私の耳にしたのは地回りの非行少年が歌っていたものですが、次の歌詞は歌わなかったと思います。そのためにばかばかしく、意味不明となったのです。

 俺が死んだら 靖国神社へヨー
  さくら咲くころ 会いにこいヨー

当時、女の子たちが手まりやお手玉のさい、よく口ずさんでいた拍子唄に、次のような意味不明のものがありました。

 一リットラ、一等賞、白ホケキョウの高千穂の、
  上天下!

こちらは、いくら考えても、意味不明です。西南戦争のころの唄を省略したものといわれますが、定かではありません。

戦後の「ネエエ、トンコトンコ」「ドドンパ、ドドンパ」「ア、ホレ、スイスイスーダララッタ、スラスラスイスイスイ」なども、ヤケ半分の発散という意味のほかは、説明のつかない歌です。「泳げタイ焼き君」などは意味はわかるが、子どもにはどうであったか。私は子どもに歌わせた「諷歌」ではなかったかと思います。これに比して「帰ってきたよっぱらい」「走れコータロー」以下、現代のコミックソングにいたる流れには諷刺精神がない。

古代中国には、子どもの口を借りて風刺的メッセージを発するという「童謡」(わざうた)の伝統がありました。「天に口なし人をして言わしむる」(天声人語)の思想ですが、記紀の編者はそれをそのまま真似て、大きな事件の前触れ(正当化)としています。いわゆる落首の起源とされるものです。

これをそのまま、現代の諷歌やその逸脱形としての「変な歌」「ばかばかしい歌」の源流にもってくるのは無理でしょうが、漠たる不安のもと、もの言わねば腹ふくるる時代の息抜きないしはガス抜きのように現れたのが、このピコ太郎おじさんのような気がするのは、私だけでしょうか。