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2017年02月12日

 『蔵書一代』(松籟社刊)が近日刊行
「少年倶楽部」1945.8.30

「少年倶楽部」1945.8.30
 一昨年、蔵書のほとんどすべてを、万やむなく処分したことで、体調に著しい変化をきたじ、これを機に蔵書とは何かということを考えるようになりました。

 近年、蔵書処分をめぐって悩む人が多いとやら、一つの世代的な現象なのかもしれません。あらためて近代の蔵書形成期を振り返りながら、その中に自らを位置づけ、さらに蔵書の可能性と限界について、考えてみたのが本書です。

 5月刊行をめざしていますが、ようやく巻末の年譜づくりまで漕ぎつけました。私の最後の本になると思うので、こうした面にも手を抜かないようにと、心しております。

 蔵書一代、人また一代、かくてみな共に死すべし。師友夙に去り、同期の友もほとんどが幽冥境を異にし、、われもまた一期の影傾いて、明日なき身をガラン洞の書庫の前に、mortal coil(生ける屍)を横たえるのみ。

 こうした死灰の日々から気力を振り絞るようにしてものした著作です。

(カット注)私の蔵書第一号は、終戦直後地方で入手した「少年倶楽部」45年8/9月合併号ですが、いつのころからか、この松野一夫の描く松の枝振りが異様であるに気がつきました。何度も参照するうちに、礎慣れの松の、風雪に耐えてきた姿であろうと結論づけていましたが、このほど、林望先生よりご近著『巴水の東京憧憬』(祥伝社)をいただき、その一枚にほとんど同様な松の枝振りが描かれていることを知り、数十年ぶりでハハンと納得がいきました。ネタ本は川瀬巴水であったか。やはり、蔵書はあるとないとでは大違いですね。