○吉備悠久

2017年04月15日

 醍醐桜(真庭市)


 醍醐桜の美しさを、いったい何にたとえるべきだろうか? 単に美しいのみならず、歴史という超越的なものと身近に共存しているような、ふしぎな感覚を覚える。これは比類のない、人生状の経験といってよい。1999年(平成11年)4月の6日、私は画家森山知己氏のご案内で、県央から県北への道を急いでいた……。

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華やかな荘厳

「醍醐桜は本日満開!」
 四月上旬のある日、待ちに待った花だよりを真庭市(当時落合町)発信のホームページで見た私は、取るものも取りあえず森山画伯のクルマに同乗させてもらい、仕事場のあった吉備中央町(当時加茂川町)から県北へと、約三十五キロの道を急いだ。夜来の雨もほとんど上がり、目的地に近い九十九折りの山道のあちこちには、カタクリが遠慮がちな花を咲かせている。

 頂上に近いところでクルマを降り立った瞬間、私は行く手の小高い丘陵の上に一本の巨木の力強いシルエットを見た。それは淡紅色の風船に彩られて、湿り気を帯びた午後の空に浮揚しているように見えた。
「あれが、名にしおう醍醐桜か……」
 感嘆の口調も、おのずと古めかしくなる。尾根の細道を、正面に桜を見ながらゆっくり接近するにつれ、軽い酩酊感を覚える。無理もない、七百年の生ける歴史に近づいているのだ。

 散りもせず咲きも残らずという、まさに絶妙な間合い。桜の美は瞬間芸である。たとえば「花の色にあまざる霞立ちまよひ空さへにほふ山桜かな」(藤原長家)という、気力充隘、いまだ欠けるところのない開花のタイミングが、桜にはあるのだ。すでに満開の報を聞きつけた見物客が、七メートルという太い幹まわりの前にたたずみ、ひたすら呼吸をのんでいる。樹高十八メートルの老樹と向き合うことで、悠久な時間を共有しているのだろうか。私もその一人となって花の下に立つと、山頂の広い空間に幾世代にもわたる人々の深々とした思いが満ちているのを感じる。

 醍醐桜の品種はエドヒガンである。すこぶる長命で巨木が多い。山梨県の山高神代桜などは、なんと樹齢二千年だそうだ。そのほか有名な岐阜県根尾谷の淡墨桜、近年紹介されるようになった鹿児島県奥十曽の大桜など、いずれもエドヒガンである。主幹が地上二、三メートルの箇所から分かれて四周に大枝を張り、頂上の枝先があたかも星辰をまさぐる触覚のように突き出ている点が特徴だ。

 これらの名木のなかにあって、醍醐桜がひときわ人を惹きつけるのは、単に年代の古さや枝振りのよさだけではあるまい。丘の上にたった一本そびえている老樹の孤高の風格をこそ、人は愛するのである。その背後には、一三三二年(元弘二)三月、後醍醐天皇が京の都を追われて隠岐に流されるさい、この地に立ち寄って植えたとか、すでにあった若木をめでたなどという伝説が揺曳している。

 戦前の植物学者で桜の研究家だった三好学(一八六一〜一九三九年)は、古来ヒガンザクラがシダレザクラとともに神社仏閣に植えられた理由を、早咲きで彼岸ごろに見られる可能性があること、太い幹からしなやかな枝が垂れて、堂や塔の多い景色によく似合うからとしている。醍醐桜の周囲に現在堂宇の遺構は見られないが、樹下に吉水神社の小さな祠があり、尾根の細道の両側には古い墓が並んで、この地域が聖域であったことが自ずと知れる。落合町はその属する真庭郡のなかでも気候が温和な、いわゆる桃源郷であるという。落雷や雪害に遭遇することも比較的少なかったことが、整った樹型からも窺われる。

 とはいえ、それは人を畏怖させる性質のものではない。約七百年間、村人たちをじっと見守るかのように、ヒガンザクラ特有の小ぶりの花を咲かせ続けてきた。花をいっぱいつけた姿は農作業の目安となり、骨太いシルエットはそれ自体が守護神であるかのように、地元の人々の心の拠りどころとなってきたのだろう。

 ところで、醍醐桜を紹介する文献を渉猟していくにつれ、ふしぎなことに気がついた。戦前から戦後二十年間ぐらいまで、この桜はあまり知られていなかったようなのだ。旭川中流域に位置する落合町そのものは、江戸時代に河港として発展、木山神社や会陽裸祭で知られる木山寺の門前町でもあるという交通の要衝だが、この桜のある木念寺地区は、交通のやや不便な場所だった。中国自動車道落合インターチェンジ経由で、難なく訪れることができるようになった現在、往時を想像することは容易ではないが、それまで醍醐桜は専門家も知らない幻の桜だった。つまり、モータリゼーションがこの桜を有名にしたのである。

 もう一つはマスコミの影響だ。なんといっても、これほど絵になる桜はないというので、毎年新聞やテレビにとりあげられるようになった。エコロジーへの関心を背景に一九八〇年前後からはじまった「巨樹ブーム」が、醍醐桜を一挙にスターダムへ押し上げたということもあろう。今日、桜について記された出版物で、醍醐桜にふれないものはないといってよい。いまや全国区の名木なのであるが、そのような下界の一大変化にはまったく無関心に、醍醐桜は悠久の時間を生きながら、地元の人々に春の訪れや、その年の気候の特徴を告げたりしている。

 日本人が愛してやまない桜。――じつは桜そのものをメディアと考えてみるのもおもしろそうだ。それでこそ自然情報の発信源のほかに、花見という共通文化を背景として、人と人をつなぐ媒体になるという意味が見えてくる。醍醐桜がその華やかな荘厳を伴って発信し続けているものは、ひとり悠々たる吉備の歴史だけではあるまい。樹齢七百年、さすがにやや老いた姿から必死に訴えかけているものは、今日、私たちのかけがえのない自然環境をどう守るか、いかに発展させていくかということにほかなるまい。その声に耳傾けてこそ、醍醐桜はさらに二十一世紀に向かって、いよいよ存在感を発揮していくにちがいない。

(追記)今年(二〇一七年)も醍醐桜は満開になりました。上に掲げた記事は、長期にわたる「山陽新聞」の連載「吉備悠久」の実質的な第一回となったものですが、しかし、私の文章ではとうていこの桜の本質を伝えることはできません。それには森山さんの作品について見るのが唯一無二の方法ではないかと思います。以下のリンク先を、ぜひクリックしてみてください。なお、目下この原画が新見美術館において公開中であることにも、ふれられています。

→ 森山知己さんホームページ内、「醍醐桜 岡山県真庭市」