○私の旧刊

2017年05月30日

 寸鉄、人を刺す


 やはり人間は、もの言わないと腹のふくれる動物のようですね。権力とか遅れた世論のまっただ中に跼蹐(きょくせき=うずくまってグーの音の出ない状態)していると、いつの間にかガスの抜きかたさえ忘れてしまうのではないでしょうか。

 弱い庶民にとって、落首(落書)は、格好のガス抜き装置の一つです。日本には権力風刺の伝統があり、たとえ表面上は阿諛追従に汲々としていても、内心は沸々抵抗の血をたぎらせ、「寸鉄、人を刺す」表現を学んできたといえるでしょう。

 以下は15年もむかしの旧稿で、私の著書の紹介に過ぎませんが、あえて再録してご覧にいれたいと思うのは、大新聞さえ与党化し、風刺の牙さえ全く忘れてしまった現状に、大きな危機感を覚えるからにほかなりません。本書『日本人の風刺精神』(1980)はもとのタイトルを『落書日本史』(1967)といい、駆け出し時代(32歳)のものですが、現在でも愛着のある仕事です。

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■落書(落首)は狂歌や川柳、地口などをもじりながら、時勢を風刺するもので、機知の文芸です。鎌倉時代の建武中興を皮肉った「二条河原落書」や、幕末の黒船来航時の世相を風刺した「日本を茶にしてきたか上貴撰たった四杯で夜も眠れず」といった落書は、教科書にも引用されています。

■「童謡」(わざうた)に起源を有するといわれる落書は、言論不自由の時代にあって民意を表現する貴重な手段でした。むかしの為政者たちは、これを「天の声」すなわち「天に口なし人をして言わしむる」という感覚から、治世の参考にしたといわれます。

■この感覚は江戸期にも継承され、一種のガス抜きの役割も果たしていたのでしょうか、落書は厳重には取り締まられなかったようです。慶応改元時の長州征討に対して「慶応と年号かへて御進発、下から読めばおけといふこと」「金銀に王を取られて歩桂香、角なる上は下は飛車飛車」といった落書は、敵味方いずれもニヤリとさせられたことでしょう。

■明治以降、近代的な社会観の未発達な日本社会は、真の意味での言論自由を解せず、三代の政府は体制維持に不都合な言説を圧迫し続けました。そのため匿名の社会批評までが抑圧されるという結果となり、風刺精神は育たなかったといえるでしょう。

■私がこの種の機知と風刺の文芸に関心をもったのは、中高生時代にNHKラジオで放送された三木鶏郎の『日曜娯楽版』(1947-54)を聴いたことからです。正確にいえば、それが政府の干渉で中止になったことからといえるでしょう。

■「戦争にまけても日本は強い それに第一辛抱強い 物価高でも金づまりでも 何にも云わずに子どもをふやしてる/ハハノンキダネー」
「株や株や なに見てはねる 戦況の電報 見てはねる」
「遠くに空いてる一等車 近くに混んでる三等車 三等客へのサービスが あとへあとへと残される」

■いまから見れば他愛ない悪口でも、時の吉田ワンマン首相にとっては喉に小骨が刺さるような気がしたのでしょう。しかし、この番組の干渉、中絶が同時代のメディアにもたらした影響は大きく、正面からの言論活動が抑圧されたこととはまた異なる意味があるといわなければならないでしょう。

■庶民の不平も風刺も、しょせんは蟷螂(とうろう)の斧かも知れませんが、「寸鉄人を刺す」表現だけは磨いておきたい。それはこのような時代になるほど、重要な能力ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

■「沈み出しているぞ船長何してる」(平成落首考)

『落書日本史』三一新書(B40判、268pp)1967年3月17日刊、290円
『日本人の風刺精神』蝸牛社(B6判、286pp)1980年12月10 日刊、1.800円)
『紀田順一郎著作集』第2巻所収