○吉備悠久

2017年07月07日

 美星町(岡山県井原市)
中世夢が原

中世夢が原
 吉備高原の南端に位置する小田郡美星町。三島由紀夫の『美しい星』を連想させるような、清新な響きの地名である。一九五四年(昭和二九)四か村が合併して誕生した。町制施行前の美山村と中心集落の星田地区、あるいは星田川の頭文字をとったものだそうだ。「星」のつく地名は全国に百四十箇所近くあって、多くが星信仰、星祭りに由来する。遠い昔、この地に三つの大きな流れ星が落ちたという伝説があって、地域内にはこのほかにも隕石伝説にちなむ神社が存在する。

 ミヤマツツジの色の鮮やかな山道を、少しばかり迷いながら、美星町の山頂にたどり着いた。もと五万原という名で知られた場所で、五年をかけて造成された「中世夢が原」という公園がある。といっても、多くのテーマパークとは類を異にするものであることは、園内に入った瞬間にわかる。

 戦国時代を彷彿させる大きな門を入ると、そこはもう中世の空間で、すべてが絵巻物や発掘資料などをもとに、専門家のアドバイスに基づいた綿密な再現がなされている。まず辻堂がある。地蔵堂の一種で、四本柱の上に屋根を載せた簡単なものだが、美星町内にはいまでも百五十余ほどが残っている。主に旅人がお布施をしたり、夜露をしのぐために使われたらしい。続いて、手入れの行き届いた松林の間から、一軒また一軒とわら葺きの民家が見えてくる。

低い戸口には蔀や暖簾がかかっている。最初の家に入ってみると、土間に炊事用のかまどだけしかなく、これに接した棟が農作業のものらしく、壁ぎわには箕や籠、篩などが置いてあった。室内が暗いのは、竹編みの格子をはめた小窓が一つしかないからだ。茶褐色に塗り固められた分厚い土壁からは、安心感よりも圧迫感のようなものが感じられる。そこから春の戸外を覗いた時の、思いがけなくも目にしみ入るような明るさが印象的だった。

 このような民家が、ほかに藍染めや藁細工の職人の住居を含めて三棟あり、それに炭焼き小屋が並んで、中世の人々の日常を体感させてくれる(実習体験もできる)。物見櫓からは、一〇・五ヘクタールの「夢が原」の全景が展望できた。さらに広場には、大きな名主屋敷が再現されている。そこに岡山市内から毎日通っているという熱心な案内者の話によると、農業や畜産が盛んなこの一帯は交通が不便なため、過疎化が進行していた。しかし、その過疎という条件を逆手に取った地域振興も可能という考えが生まれたのは十数年前のことで、同時に「中世吉備の庄という事業計画がスタートした。以来、国や県の援助もあって順調に推移し、一九九二年(平成四)、全施設が完成したという。

「郷土芸能である備中神楽などの催しには、全国から非常にたくさんの来場者があります。学校単位で児童、生徒さんも来られます。熱心な歴史の先生なら、修学旅行の目的地になりますね。コマをまわし、弓を引いて遊ぶ子どもたちの目が輝いていますよ」。その人の目も輝いているように、私には思われた。いま、「中世」がおもしろい時代なのだ。

 隣接の手入れが行き届いた松林の中を抜けながら、広い野に通じる道があった。冒頭に記した天文台のある一画である。ここは天文ファンにとって、全国有数の星見が丘なのだ。もともと岡山県南西部は気象条件が天体観測に適しているとあって、十キロほど南には国立天文台岡山天体物理観測所がある。町名や流れ星伝説とも関連させ、早くから星と中世をテーマとする町づくりが提案されていた。関係者の努力の末、夢が原完成の翌年に一〇一センチの大口径望遠鏡を備える美星天文台が落成、町づくりの総仕上げをしたのだった。

 年間を通じて多くのイベントが開催されているが、特筆すべきは美星町が十五年前に「光害防止条例」を制定、町の財産である星空を守る姿勢を明らかにしたことである。このことは環境保全、省エネルギーの動きと関連して広く話題となった。

------------------------------------------------------------------------------
 「山陽新聞」に連載、後に単行本『吉備悠久』にまとめられた紀行の一篇「美星町」は、2004年5月の掲載でした。すばらしい環境と、町おこしへの高い理念には、強く心をうたれたものです。
 画作を担当された日本画家森山知己さんは、当地の新鮮なイメージをご自身のホームページ上に再録されています。ぜひ、下記をクリックしてご覧ください。
 → 森山知己「花鳥風月」内、「美星町 井原市」