今までの人生で、最も恐ろしくて、怖かったこと。
落とされたのは,東京大空襲と同じ「?69油脂焼夷弾」でした。 この焼夷弾は、直径75ミリ6角形、長さ508mm、1ケース38発、空中でバラバラになり 、落下中に点火されて 、地上で爆発し、発火した油脂が撒き散らさられるものでした 。1機で10ケースとしても、380発、10機編隊とすると、 3800発(推定)ほどの焼夷弾になります。それが1万メートル上空から落ちてくるので すから、それは大きな轟音になるわけです。この時の恐ろしさが、生涯で最大となり、 いまだにトラウマとなっているのです。 幸いにもその時、近くに、隣組の共同防空壕がありましたので、頭から飛び込み、手で 目と耳を押さえ口を開いて平伏しました。爆弾の場合は、目玉が飛び出し、鼓膜が破れ るので、日頃から小学校で訓練していた通りの姿勢をとりました。 爆発音が無くなると、防空壕から飛び出ました。一瞬にして道路は火の海、家屋は火だ るまで、火の中を命からがら逃げ回り、やっと火のない所に、逃げ切りました。直撃弾 が防空壕に落ちなかったので、命は助かりました。 少し気持ちが落ち着いた時に、自宅の状態を見に行きました。 矢張り盛んに燃えていました。自宅が炎上しているのを見ている気分は、 悔しいやら、寂しいやら、情けないやら、腹立たしいやら、大変複雑でした。 周りを見ると、無事だった父と妹も静かに見ていました。 残酷な状態の死傷者も沢山でていました。 我が家の炎焼は、直撃弾を受けた隣家から延焼している状態で、 半分燃えている状態でしたので、消しに行きました。 燃え盛る平屋の中に入って、まず仏壇を持ち出しました。 次いで、裏庭のつるべ式の井戸水で消火に掛かりました。 延焼も下火になってきたこともあり、必死さが通じたのか、 何とか消火でき箪笥や着物の半分は残りました。 父は怖がりで、火中に入らず、玄関の自転車だけを出していました。 気が付けば、夜が明けていました。小学6年生の8月10日、終戦日の 5日前の事でした。 何があっても「戦争だけは絶対に駄目」です。 戦後78年経ってやっと語る気が出てきました。 NHK朝ドラ「ブギウギ」のお陰です。
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