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山梨県でマグロをとる話

岡山大学工学部 物質応用化学科 教授

阪 田  祐 作 


 大学2年のときだったと思うのですが、初めて学ぶ化学工学科の専門課程の講義「単位操作」のテキストは、藤田重文著「化学工学1」(岩波全書)でした。その扉を開くと『科学者とは解ける問題(can solve)を解く人達で、工学者とは解かねばならない問題(have to be solved)を解く人達だ』というアインシュタインの言葉が韻を踏んだ英語の語句で書かれていました。当時、大学での数学では微分する前にその関数が連続であることを証明することから始めるのだということを学んでおり、その一方で、強引に近似解を求める数学を勉強していたので、理学と工学の違いを示すこの巧い譬話に納得したのを覚えています。

 

 話変わって、朝日新聞に今も4コマ漫画「となりのやまだ君」が、毎日連載中です。皆様もご存知かと思いますが、なかなかユニークな女の小学校教師(藤原先生)が時々登場します。彼女は、二日酔いで出勤したかとおもうと、父兄に辛辣な批評を浴びせるなど、大変に痛快な人物です。2年ほど前に掲載されたものなのですが、私のお気に入りの作品(No.1172)があります。一コマ目で、その藤原先生がクラスで「きのうテストを採点したのですが」と言いつつテスト結果を返しながら言うのです。「みんな同じところを間違えています。皆さんがカンニングしたとは思いませんが (2コマ目)」。「どうして山梨県でマグロがとれるんでしょう!」。生徒達が口々に「えっ」とか「でもー」これが3コマ目。最後の4コマ目で子供達が『先生がそう教えてくれました』と答えていて、藤原先生がドテッと倒れて、この漫画が終わっています。

 

 昨年(1995)度、私が学科主任を引き受けたとき、新一年生の入学式後の学科オリエンテーションでの挨拶の冒頭で、いきなりOHPにしたこの4コマ漫画を映して紹介しました。このような場面で大学教員は、この藤原先生のように、決して倒れません。山梨県でマグロをとる話ばかりしています。むしろどうしたら海のない山梨県でマグロが捕れるかの夢を毎日考えていると言ってよいでしょう……というようなお話を、歓迎の挨拶に代えてしました。山梨県は海岸線から遠いから、漁港がないからなどと、マグロのとれない正しい理由(できないことの理由)を一つひとつ数え上げてゆき、だからマグロが捕れないのだと説くのも学問かもしれません。私は工学とは不可能をどうやって可能に変えるかを考える学問だと言いたかったのです。同じ時間を使うなら、できる理由、あるいは、こうすればできるかもしれないという仮説を探りたいという、単純に我侭だけの発想かもしれませんが。

 

 この漫画の教訓(?)をもう一度、展開します。日本の教育制度が作り上げた現在の若者はたいへん素直です。「赤は黒だ」と教えればすぐにそのように憶えてくれます。なぜ「赤」は「黒」なのだろうと考えて、理解できなければ、とにかく憶える方が楽なのです。「なぜ、赤は黒なの?変ですな」と問いつめられたら、誰々さんが教えてくれたといえば自分に責任がないのです。受験勉強の問題には答えが必ずあります。しかも、正解は一つであり、二つもあってはいけないのです。思考のプロセスは問題ではなく、とにかく答を回答すべき枠の中に記入すればよいのです。受験のとき自分自身が気付かなかった問題文の簡単な“てにをは”の誤りまで、マスコミが出題者をなじって守ってくれます。

 

 大学新入生への講義はじめに、大学でのお勉強あるいは現実社会では:@何が問題かが判らない、A答えがあるのか無いのかも判らない、B答えがあっても一つとは限らない、C答えそのものよりも、どのように考えたのかのプロセスが大切、D……などと、我々の常識を説きますと、入学してきたばかりの学生はパニックに陥り、その後、新しい考え方や新しい常識を受け入れる(硬い頭を柔軟にする)のに少なくとも半年を要します。

 

 そして数年後に研究室に配属されてくる学部卒業研究生と、研究室を志望してやって来てくれた大学院生をパートナーとして研究活動を進めてゆくのは、私たち大学教員の使命です。どのような研究課題を設定するか、これが研究室の命運を決めます。恩師笠岡成光教授から研究室を引継ぐことになったころ、「学問はホラで始まり、コジツケで太る」という松田武彦・元東工大学長の凄い言葉を知りました。これは、「新しい学問は、学際領域に存在する。しかし新しい学問が簡単に“できるかどうか”は、わからない。けれどそこに挑戦しなさい」との激励の言葉のようです。あまり品の良い言葉ではありませんので、私は心の中では「ホラ」を夢に、「コジツケ」を理論・モデルと読み換えています。そして、時と場所を選んでこの言葉をみなさんに紹介しています。ウソはいけませんが、ホラは許されます。私自身は「ホラ」のネタを持ち続けるためにも、ポケットの人参(アイデア)が無くならないように必死です。この試みがダメなら、次はこの方法をと、次々と人参を目の前に差し出し、ぶら下げ、時には鞭を入れながら、研究室のスタッフと学生を相手に競いあって、毎日を過ごさせてもらっています。

 

  以上が、山梨県でどうしたらマグロが捕れるかのお話しです。新しい課題に挑戦しようとするときに出会う「できない」という正しい理由を封じるために、どうすればよいかに対する一つの答えです。

 起承転結に書き分けたつもりですが、おわかりいただけたでしょうか。

      (初稿1996/10/31 改訂