「日々淡々と」
  岡山市立御津中学校  古 元 方 人

 朝5:30起床。眠い目をこすりながら台所に立つ。ボウルに卵を3つ割り入れる。白身を切るようにしっかりかき混ぜる。砂糖大さじ1,出汁小さじ1,水大さじ3を入れてさらに混ぜる。その間に卵焼き器(フライパン)にサラダ油を入れよく熱しておく。少し煙が立ちだしたら余分な油を拭きとって,卵を流し入れる。少し固まってきたら隙間ができないように向こう側から巻いてきて,再び戻し,また卵を流し入れる。これを繰り返す。卵が全部焼けたらキッチンペーパーに包んで余分な水分をとる。包丁で六等分したら卵焼きの完成である。

 次はウインナー。以前は「タコさん」「イカさん」「カニさん」「宇宙人」ウインナーなど様々だったが,娘たちも大きくなって,最近はその手間がなくなって現在はただそのまま焼くだけである。少し焼き色がつけばウインナーも完成。これで私の朝の役目がは終わり。

 これは,娘が幼稚園に入り,弁当を作り始めてから15年間続いている私の毎朝の仕事だ。妻は卵焼きとウインナー以外の担当(つまり,主食担当)である。ふたりで仕事を分担しているわけだが,「たまには代わって。」とよくいわれる。何を作ろうかと毎日違うものを考えるのが大変な作業で,気が重くなるので固持している。では,卵焼きが簡単かというとそうにあらず。たかが卵焼きとはいえども,実はなかなか奥が深い。作り始めた頃は甘すぎたり,しょっぱかったりなかなか味が定まらない。また,焼き方も生焼けだったり,焦げ付いて真っ黒になったりで,うまくいくときは少なかった。砂糖の量やサラダ油の加熱加減で全然違うものになる。最近になって少し定着してきた。まぁまぁ満足のいくものができることが多くなってきたが,安心はできない。油断すると焦げ付いてうまくまとまらないこともあって,そんな日は1日中なんとなくブルーな気分で過ごすことになる。

 朝に限らず土・日など時間がある時はよく料理をする。娘の出産で妻が実家に帰ったことがきっかけで,料理のまねごとを始めた。最初は野菜炒めを作った記憶がある。砂糖と塩を間違えたり,材料をフライパンに入れたとたん火が出て思わず火事になりかけたこともある。何度も包丁で指のけがをした。いろんな失敗を重ね,学習しながら今日に至る。失敗ばかりなのになぜか料理が楽しくなっていった。料理したものを家族に食べてもらうと「おいしい。」といってくれる。その一言でこちらもうれしくなる。たとえお世辞だとしても,一生懸命作った料理に対して「おいしい」といってもらえるだけですべてが報われる気がする。お礼を言ってもらいたくてしているのではないが,家族が笑顔になってくれることを考え,それを望んでいるのは間違いない。そんな調子で「次も作ってみよう」という気になってしまう。で,また料理を作ってしまうわけである。ふらりと入った本屋では,いつのまにか料理本の前に立っている。自分と同じように料理本を見ている自分と同じ年代の「おやじ」を見かけるとついうれしくなる。本を眺めているうちに,これがおいしそう,あれも作ってみたいとつい妄想が広がってしまう。始める前にレシピ・段取りを確認,材料や器具を準備し,考えた手順を淡々と実行していく。すると日々のイライラや些細な困りごとを忘れていく。作り始めてからは,次にすること,今煮ているものの加減,材料の切り方など次々と考えるべきことが浮かんできて忙しくなる。料理だけのことしか考えなくなるわけである。

 まだ先のことはあるが,そろそろ定年後のことも考えるようになってきた。娘の学費,住宅ローンなどいろいろと出費もかさむので,再任用など利用させてもらい,まだまだ働かなければならないと思っている。しかし,その反面早く引退して,料理などを楽しみながらゆっくりと過ごしたいという気持ちもある。子どもたちが自立したら,妻と二人で悠々自適な生活を楽しみたいものだと自分勝手に思っている。

 そろそろ就寝時間が近づいてきた。明日も5:30に起床だ。まだまだ当分は,現実の日々が続いていく。夢物語は空想の中にとどめておいて,家でも職場でも日々やるべきことを少しずつやっていこうと思う。