雑感 「ら」抜き言葉 | |
岡山市立御津南小学校 戸 野 善 之 | |
言葉は,時代とともに意味や使い方が変わると言われる。たとえば,以前はあまりいい意味で使われなかった「こだわる」という言葉が,いい意味で頻繁に使われるようになっている。 |
「こだわる」は、本来の意味は「どうでもいい問題に必要以上に気にする」(三省堂『新明解国語辞典第5版』)である。しかし,テレビ番組等では「素材にこだわって」と言った使われ方をしている。これは,「他人はどう評価しようが,その人にとっては意義のあることだと考え,その物事に深い思い入れをする。」(前掲書)という意味として使われている。ただし,後者についてこう記している。「ごく新しい用法」と。 |
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「こだわる」という言葉の本来の意味に「こだわる」方は,「素材にこだわった」と聞くと,「そうか。この人はこの素材はどうでもいい,取るに足らない物と考えているのだな。」と考えるかもしれない(笑)。 |
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前置きがずいぶん長くなってしまった。 |
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私には,「こだわる」よりも,最近耳障りで気になる言葉は,「ら」抜き言葉である。 「見れる」,「着れる」,「食べれる」,「起きれる」,「出れる」,「来れる」等々。これらは,すべて文法的には誤った表現である。 |
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可能を表す「れる」「られる」の助動詞は,五段活用の動詞には「れる」が付き、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用の動詞には「られる」を付けるのが正しい用法である。したがって,上記の「ら」抜き言葉は,「見られる」,「着られる」,「食べられる」,「起きられる」,「出られる」,「来られる」が正しい用法である。 |
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テレビでインタビューをされた人が,「本物を見れてうれしかったです。」と答えると,テロップでは,必ず「見られて」と直している。アナウンサーなのかタレントなのか分からない民放のアナウンサーも,数年前までは,平気で「ら」抜き言葉を使っていたが,最近は使わなくなっている。噂で聞いたのだが,NHKでは、若いアナウンサーが放送中に「ら」抜き言葉を使った場合,上司に厳しく叱責されるらしい。 |
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アナウンサーは,正しい日本語で伝えるのが仕事なのだから当然と言えば当然であろう。 |
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小学校の先生にも「ら」抜き言葉を使う人が非常に多いが,中学校の国語の先生は,「ら」抜き言葉を使う人はいないだろうと,私は勝手に信じていた。なぜなら,中学校では文法の授業がある(はずだ)からだ。だが,中学校の国語の先生でも,平気で「ら」抜き言葉を使っているのには,はっきり言って驚いた。今,中学校では、文法の授業はないのだろうか。 | |
いくら「ら」抜き言葉が氾濫し、市民権を得る勢いであっても,私たち教員は,正しい日本語を使って子どもたちに教えていかなくてはならないのではあるまいか。 最近の言葉の乱れを感じて,思うままに筆を執ってみた。 妄言多謝。 |
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《付記》 この駄文を書いた後,高校1年生の娘に中学校での国語の授業について聞いてみたところ,文法の授業はあったが,「ら」抜き言葉については習っていないとのことだった。 |