「私が心掛けていること」
 倉敷市立倉敷第一中学校  田 中 良 明
 私が勤務する「倉敷市立倉敷第一中学校」は,昭和22年「浅口郡西阿知町立西阿知中学校」として創立し,昭和47年に現在の校名となり昨年度,創立50周年の記念式典が行われました。本校は,高梁川の清流にのぞみ,南部に大平山を隔て水島臨海工業地域に隣接し,山陽本線や国道が走り交通の便にも恵まれています。本校の校訓は,心理を愛し,知性豊かな人間として,厳しさを乗り越え,新しいものを生み出そうする覇気をもち,健康で,あわれみ深く,自分を見つめ,個性的に生きぬくことを生活の信条として,「自分をたいせつに 他をたいせつに 新しく生きる」となりました。今年度,本校の生徒数は832名,学級数は26学級という規模であり,今後も生徒数の増加が見込まれております。
 このような伝統のある中学校に今年度より新任教頭として赴任しました。私事でありますが,8年ぶりの現場復帰ということもあり,とてもうれしい気持ちですが,それと同じくらい不安な気持ちもあります。教頭職の業務は,本当に多種多様であり,自分の無力さを痛感する毎日であります。行き詰まった時や苦しい時に,私は初任者だった頃を思い出すようにしています。その当時の先輩からの話が今の私の原動力なっているからです。その話を紹介させていただきます。
 人は「目標」を立てて,その「目標」を達成しようと一生懸命にがんばります。しかし,いつも,努力が報われ,「目標」が達成されるとは限りません。むしろ,「目標」が達成されないことの方が多いかもしれません。では,「目標」が達成されないと,それまでの努力は,価値がなかったということでしょうか。
 例えば,山登りを考えてみると,山登りの「目標」は頂上に立つことです。頂上目指して,がんばるわけです。しかし,仲間が協力して,もう少しで頂上というところで天候が急変したり,仲間の体調が悪くなったりして,やむなくリタイヤせざるを得ない場合もあります。そのようなとき,この山登りの価値は無であったのでしょうか。そんなことはありません。逆に,天候の良い日にヘリコプターで頂上に降り立ったとします。「目標」は達成しましたが,山登りの価値はどうなのでしょうか。
 残念ながら,「目標」が達成されなくても,すばらしい価値のあることはたくさんあります。それは,「目標」を達成しようと必死に努力する過程で,心も体も鍛えられ,人間性が豊かになり,人として生きる力を身に付けていくからです。人として生きる力を身に付けることが,最終の目的だと思います。目標が達成されないことがあっても,最終的な『目的』だけは,しっかり達成できる人でありたいと思っています。