「教師の仕事とは」
 倉敷市立真備中学校  久保山  崇
 「サッカーの審判の仕事は、教師の仕事と同じだよ。」これは、県のサッカー審判部で長らく活躍されていた大先輩が私に教えてくれた言葉である。「どうしてですか。」と私が尋ねると、「先生、考えてごらんよ。サッカーの審判はゲームの中で、良いプレーと悪いプレーを判断して、それを選手に伝えるでしょう。これって、教師の仕事と同じだと思わないか。」「なるほど。」としきりに感心させられた思い出が、私にはある。
 コート全体のコーディネーターであるサッカーの審判は、そのさじ加減1つで、ゲームを変えることができる。良いプレーと悪いプレーを明確に示し、コントロールすると素晴らしいゲームになるが、かたやその基準が不明確であるとゲームは荒れる。審判は、笛やジェスチャー、イエローカード、レッドカードを駆使してゲームをコントロールするわけであるが、大切なのは、主役である選手に気持ち良くプレーしてもらうことだ。サッカーのコートを教室に置き換えると、教師の仕事はまさにサッカーの審判と同じだと言える。
 荒れる教室の話を時々、いろいろな所で耳にする。原因は1つではないだろうが、「子どもたちにとって、良いことと悪いことが教室の中で、明確に示されているか」「教師が教室全体を上手にコーディネートしているか」そんなことがサッカーの大先輩との思い出からふと頭をよぎる。
 サッカーの思い出と言えば、もう1つ、別の大先輩から学んだ言葉がある。「Wait and See」である。簡単に言うと「待って判断する」ということである。サッカーのゲームの中には、必ずファウルが存在する。悪質なファウルには、すぐに笛を鳴らし、対応しなければならないがファウルの度にすぐに笛を鳴らしていると、ゲームの流れが切れたり、ダイナミズムが失われたりする。そうならないためには、ファウルに対して、すぐに笛を鳴らすのではなく、ファウルの質を見極め「待って判断する」ことをしなければならない。
 教師は、職業柄、子どもにすぐに手を差し伸べてしまいがちである。その瞬間にすぐに、手を差し伸べてしまうことは、ひょっとしたら子どもの成長の機会を奪ってしまっているのではないか。少し待って、子どもがどうするのかを見届けてやることが、長い目で見ると、子どもの成長を促すことになるのではないか。若い時の私もご多分に漏れず、「待つ」ことができなかった。しかしながら、年を重ね、経験を積むと、少しずつ「待つ」ことができるようになった。
 学校現場は、今、どんどん若返ってきている。若い時の私のように、子どもにすぐに手を差し伸べている教師も多いのではないだろうか。経験を重ね、「待つ」ことができる教師が増えてくれると、とてもうれしいと思う。そのことが、子ども自身が気付き、判断し、挑戦し、成長することを促すことにつながるのだから。
 教員の働き方改革の中に、当然、部活動も挙がっている。教員採用試験の受験者を増やすためには働き方改革を進めていく必要がある。この先、きっと部活動は地域移行が進んでいくであろう。時代は変わってきているのだ。私は、長らく中学校でサッカーを指導してきた。管理職となり、直接、子どもを指導することはなくなったが、今、思えば、私自身の教育観を大きく育て上げた中の1つが、部活動であった。サッカーを通して出会った先輩方の言葉が、教師の仕事の中で、私に大きな気付きを与えてくれた。
 部活動が教師の仕事から切り離されていくこの先、若い教師は、「教師の仕事」を何から学び取っていくのだろうか。当然、学校の仕事の中からということであろうが、違う視点から気付きを与えてくれるという意味では、部活動もその1つではあるのだが。若い時の私に声をかけてくれた大先輩のように、今度は、私自身が若い教師に声をかけ、気付きを与えられるような先輩にならなければと思う、今日この頃である。