「夏休みの過ごし方」 |
西粟倉村立西粟倉小学校 永 幡 賢 一 |
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小学生だった頃、夏休みにどんな過ごし方をしていたのか思い出すことがある。
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その当時住んでいた家は、周りを山に囲まれた自然豊かな場所にあった。近くに、小学生が住んでいないこともあって遊ぶ相手は、いつも3歳下の弟だった。
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夏休みになると朝は、近くの山へ父と弟で虫捕りに行くのが日課だった。お目当ては、クワガタムシとカブトムシである。そこに行けば、必ずと言っていいほど捕まえたい昆虫が集まっているクヌギの木が1本あり、まずそこをチェックする。「いたいた。」「今日は、大型ミヤマクワガタ発見。」と、虫かごいっぱいにして家に帰っていた。遊びに来ていた従兄弟(いとこ)と一緒に捕りに行った時も、木の下から、もこもことクワガタムシが出てきたり、樹液をなめているカブトムシがたくさんいたりして、大喜びをして捕まえている従兄弟の姿を今でもよく覚えている。夜、家の庭で花火をしているときも、カブトムシがその光に集まって飛んでくるという場面も何回もあり、従兄弟もこれにはとても驚いていた。
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当時我が家は、上水道がなく、雨が降って山にしみ込んだ水を家庭用水として使っていた。雨水なので、大雨が降ると水が濁ったり、晴れが続くと水の出が悪くなったりと、天気にとても左右され、不便さを感じることもあった。その水は、山から流れ出ている水を家の近くにあるタンクまで、樋(とい)をつないで集めていた。祖父や父が、竹を切って割って作った手作りの樋である。それを山の斜面に沿って、連結しながらタンクまで並べていく。いわゆる竹を使ったそうめん流しの原理だ。山の中にむき出しのように並べてあるので当然、落ち葉や小石が溜まると流れが悪くなる。ひどくなると、水がタンクまで全く来ないこともあるので、山へ虫捕りに行く途中に、樋の掃除もよくしていたものだ。
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ある日、家の蛇口をひねるとなんと、水と一緒にサワガニが生きたまま出てきて、びっくりしたことがある。おそらく、樋に入ったサワガニがそのまま流され、タンクに入り、そこからパイプを通って蛇口まで来たものだろうと両親が言っていて納得した。
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夏休みの昼間は、いもりや魚、ヤゴなどの水生生物を捕ったり、セミやトンボを捕まえたり、縁側で本を読んだり、昼寝をしたりした。
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夕方になると、祖母が家にある布を塊にして作ってくれた布ボールで、野球をよくした。野球といっても弟と二人だけなので、もっぱらキャッチボールかピッチャーとバッターに分かれてのゲームをして遊んだ。「ピッチャー、第1球を投げました。」「おしい、ボール。」「第2球、投げました。」「打ったあ、ファール。」など、野球の解説を自分たちで言いながら楽しく遊んだ。
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夜、「あれは、北斗七星。」「あれは、白く光っているから、きっと温度の高い星。」など、学校から持ってかえっていた星座早見を使って、夜空に輝く星をよく眺めた。家が東向き、しかも家の裏はすぐ山だったので、北から東の方角の空を当時はよく見た。その頃は、家のトイレが外にあった関係で、寝る前のトイレで外へ出たときは、夜空を眺めるのがいつしか習慣になっていた。
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夏の夜は窓を開け、風通しを良くした状態で、蚊帳(かや)を吊った部屋で寝ていた。クーラーが今ほど普及されていなかった頃、蚊取り線香のにおいが部屋いっぱいに広がって、蚊帳を眺めて寝るのが当たり前の光景だった。
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あれから、数十年の歳月が過ぎ、私もいつしかその頃の父の年齢になっていた。子どもの頃住んでいた家は、両親が今も暮らしている。外にあったトイレは、家の中にあり、水は、上水道が通るようになった。夏の間、使っていた蚊帳はいつしか使わなくなり、扇風機やエアコンで暑さをしのいでいる。ただ、山の水は、昔と変わらぬ方法で集め、今でも使っている。花に水やりをしたり、屋外でちょっとした洗いものをしたりするには、山の水は欠かせないと両親は言う。
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時代が変わり、子どもたちの夏休みの暮らし方も随分、変化してきたことだろう。思い出話としてはもちろんだが、私が子どもの頃の暮らしを不便さではなく、その時代の生活の知恵がたくさん詰まっていることとして、子どもたちに機会があれば話ができたらと思う。 |