6/28//2001 3DCG  記事
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3DCGアニメーションとの関わりについて

シャープがかって発売していた独自仕様マシン(遠い遠い昔の話です)X1というパソコンが私の初めてのコンピュータとの出会いでした。

1997年〜1998年にかけて雑誌連載の時用いたキャラクタ
■ 1997年〜1998年にかけて雑誌連載の時用いたキャラクタ
 ■ マイコンなどという言葉がやっとある程度認知され、ボードコンピュータという、今で言えば基盤(パソコンの中身?ですね。)にLEDがついただけの物が登場し、キットとして組み立てるという物でしたが、「個人でもコンピューターを持つ!事が出来る」というイメージは強烈でした。しかし、残念ながらこのボードコンピュータは欲しかったのですが購入することは出来ませんでした。

その後、最初に上げたX1を手に入れる事になるのですが、「映像に強く、グラフィックに特化したパソコン」というキャッチに惹かれての購入でした。確かテレビパソコンとも呼ばれていました。

絵を描くという興味の延長として、ディスプレイ上の電子的な光の姿、プログラムを行うことでそれを動かせるという魅力、可能性への期待から始まりました。

無限の未来を感じて触れるプログラムは、大変、わくわくとさせられたものですが、現在のマシン、状況と比べると格段の差?がありました。何故なら、自分でプログラムを作らない限り・・・・動かす物が無かったのですから。

1994年制作のアニメーションより
■ 1994年制作のアニメーションより
 ■ 1980年代から始まったパソコンとのつきあいは、その後、X1toubo、X68000、x68030+40toubo!と続きます。メーカーの開発の方とお話する機会があったり、パソコン書籍出版社の方々とも出会う、みんなが仲間というような意識がありました。非力だったパソコンも何時しかそれなりのパワーを持つようになり、私が当初出来たらいいなーと思っていたような事がだんだん可能になって来たのです。

ただ、これら人との出会いの中で、
●project team DoGA
http://www.doga.co.jp/

との出会いは、大変大きな意味がありました。「できたらいいなー」は誰しもも思う事なのですが、プログラムを作る、開発するというのは大変な作業、人的資源を必要とします。CGAコンピュータグラフィックアニメーションに特化したプログラム開発とその実行環境整備。京大マイコンクラブ、阪大のグループの方々がコアになっての取り組みでしたが、パソコン雑誌を通じて関わり、そして何時しかその主催するコンテストに出品し、プログラムのアイデアを出したりするようになっていました。
●CGAコンテスト
http://www.doga.co.jp/ptdoga/contest/

現在、業界?で、活躍している方々の中には、このコンテストから育ったかたが結構います。メーカー等のひも付きでないコンテスト運営は、仲間作りの側面が強く、歴史の長いものとなっています。

DRAGONFLYより
■ DRAGONFLYより
 ■ 1995年の第7回コンテストの出品を最後に私自身は、<引退?>を宣言し積極的な制作を行わなくなっていますが、このあたりについてはまた別の項で触れたいと思います。コンテストの方は、ますます盛んになり多くの才能が育っているようです。

東京を離れ岡山の山の中に居を移したこと。そして、この地で関わった「地域イントラネット構築」もあり、コンピューターとのつき合いは未だ続き、利用マシンも異なったものとなっていますが、結局思うのは、コミュニケーション、価値の共有に向けた取り組みです。どのようにこれらのことがアートや3DCG,
インターネット・ネットワークに関わってくるのか?それは、また別の機会に。

そうそう・・パソコン黎明期、紀田 順一郎さんがパソコンを使っての電子書斎利用法?の連載をビジネス系一般誌に連載されておりました。(十数年?昔の話です。当時、それはとても希有な事でした。)とても手が出せない高価なパソコンを使ってのその連載にわくわくしたのを覚えています。

 


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