5/22//2005 吉備雑感日記  記事
霧中アトリエ 森山知己のホームページ|■語句・項目検索


文化を守るということ。

大げさなタイトルでまたまた失礼・・・。ここのところ考えていることをたどると、どうもこの大げさなタイトルに行き着きました。はたしてことの顛末は・・・・。

何事も消費のスピードが速や過ぎるとすでに書きました。「長い時間を生き抜くものこそ本物だ!」とはよく聞く言葉ですが、ここのところの状況を見る限り、本物と思われる(すでに長い年月を生き抜いて来た)価値観さえ、ここにきて急激に失われつつあるように思うのです。

では、なんでそんなことが起きていると思うのか・・・。たとえば私のいくらかでも?関係する絵の世界、画集の現状。瞬間的な個人画集などは現在も発売されていますが、いわゆる流れ全般を見渡すような美術全集なんてのを見なくなったと思うのです。

一方、一時期、どこの家の棚にも誇らしげに並んで収まっていたかに思える?百科事典、美術全集たち・・あれは、いったい何処へいったのでしょう。

そもそもある時期を境に全集そのものが発売されなくなってきたように思うのです。
 

現在製作中のふすま絵、約一月前頃の画像
■ 現在製作中のふすま絵、約一月前頃の画像
 ■ デジタルメディアの発展のおかげ?、インターネットがあるから・・・そういえばバーチャルミュージアムも在りました、、。

はたしてテクノロジの進化・発展によって美術全集や百科事典の存在を置き換えるものが生まれたのでしょうか?それらがそのように目指して開発されてきたことはわかりますが・・・。

本の機能は情報の蓄積のように見えて、一面は確かにそうですが、やっぱりリアルな物質、物としての存在も大きいように思うのです。

シーケンシャルなページめくりが時間の経過、歴史を教えてくれたり、図版の手触りが記憶を呼び起こすキーとなったり・・。特殊な例かもわかりませんが、昭和初期の木版などによる参考図版の添付は特別な質感の記憶を造ってくれたように思います。

もちろん!実際の絵画や貴重な文物そのものは質感の宝庫。

デジタル化される過程で評価されず欠落していく情報としての質感の存在。

ここまで来て思うのです。実際この質感に対するこだわり?の中に実はこの国の文化、ある種の濃いエッセンスが在るのではないかと・・・。

デジタル化はさけられない流れにしろ、急ぎすぎるそれは何らかの欠落を生み、その根底にある素材を失う結果を招くかもわかりません。

エコロジー等、生態系の話がよく聞かれますが、文化も同様。生態系として捉える必要がありそうに思うのです。

描きこみを始めた2週間前あたりの画像
■ 描きこみを始めた2週間前あたりの画像
 ■ ところで、「文化を守るということ。」というタイトルについての落とし前は・・・・。

使う材料・素材の制作、確保、技法を成立させている要素、道具の存在、よい師弟関係?、作家自身の学習と成長、パトロンの存在、よい物を認めようとする社会?、チャレンジの機会の存在、仕事の場などなど、関係する多くの物が有機的に結びつき機能する必要があると羅列しつつ・・・「自分になにができるか?と考えている。」につながるのですが、コンピュータに関わったこと、ネットワーク構築に関わったことなども含め、私の多面的な好奇心がなにか次のドキドキに向かいたい欲求に!!というところなのです。(具体的には、未だ霧の中ですが・・・)。

 


Copyright (C) 2005 tomoki All Rights Reserved.
このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。< kibicity-記事発信支援システム>