7/10//2005 吉備雑感日記  記事
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すその

山の頂がそれだけで存在しないのは自明のこと。その頂にふさわしい裾野があってこそ頂も輝きを増すように思います。もちろん、険しく切り立ち、そのまま山を構成しているような姿もたしかに刺激的ではあるけれど、富士山が格好いいのはやはりあの末広がりの稜線があるからのように思うのです。

何事にもスピードが求められる時代となり、どうしてもゴールだけとか、頂上だけがクローズアップされ、扱われることが多くなったように思います。誰もが忙しく、「途中なんか知ったことではない、そんなものなど相手にしている暇はない。」といったところのようです。いわゆる価値観の二極化、デジタル化、「勝ち組」と「負け組」、その<間>となる部分はどうでも良いように感じられます。

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 ■ 頂は、それだけで存在しているのではないとすでに書きました。注目されることがたとえ少なくとも、それをささえる環境、土台としての<すその>あってこその頂であることは言うまでもありません。

たとえば関わる日本画、(何が日本画かはこのさい置いておくとして)高名な作家が存在できるのは、鑑賞者、コレクター、画商・販売、美術館、教育、
、評論家、メディア、材料道具の供給者、アマチュア、セミプロ、プロとその世界を構成する要素がちゃんとそれぞれの場で機能しているからにほかならないと思います。


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 ■ 有機的につながり、それぞれの場でそれぞれが機能する事によって守られてきたもの、姿。

時代の要請による変化を受け入れ、対応していくことは、重要な事に違いありませんが、あえて<まもる努力>も必要と痛感することが多くなりました。<すその>自体の崩壊が進んでいるのを感じるのです。

たとえば、「日本画」というイメージ、「伝統」というイメージの消失。絵を描くという価値観、見て楽しむ、飾るという価値観。


和紙、絹、刷毛、筆、絵の具、絵を描く素材を作る場。裂など軸装、巻物、屏風などに必要な素材を織る場、表具、額装を行う場。床の間、壁、絵を掛ける、飾る空間。茶会などの場。それぞれの現場で、ぎりぎりの状態が続いていると聞きます。

なにがよいものか?

それぞれを人間が生きる営みの中で行っている以上、経済的な問題で存続が難しくなることも多いのが事実。密接にからみあった生態系のような姿。

<すその>への注目、バックアップが求められていると思うのです。

 


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