3/22//2007 吉備雑感日記  
霧中アトリエ 森山知己のホームページ|■語句・項目検索


波の表現

不洗観音寺客殿の襖絵制作も一区切り、以前に描いたものも含め、現在、東京で表具の作業をしています。仮張りから本紙を剥がし、この本紙の補強のための裏打をまず行ってから、前もって制作しておいた骨の部分への張り込みや桟の取り付け、引き手の取り付け等を行って、襖として完成します。

絵を直接描く本紙に、基底材としての和紙の機能を見直し、新しく漉かれた大M紙を使用するなど、素材に経年変化に耐えられるような配慮をいろいろとしたことは既にご紹介したと思います。このほか、干支や四季の風物を描いた扇形絵を貼り込む箔地のベースとなる紙には、今回、「紅星牌」という中国の宣紙を用いました。箔を貼る基底材に宣紙を使う意味は、宣紙の製法とも関係しています。宣紙の製法では漉いた後の乾燥を漆喰壁に張り付けて行われるのだそうです。漆喰は弱アルカリ、用いる金箔、プラチナ箔といった金属の酸化等にも配慮した選択だそうです。

関わってくださっているいろいろな方々の知恵に感謝です。

さて、笠岡市立竹喬美術館で開催中の「都路華香」に関連した<日本画における様々な波の表現>と題されたワークショップ開催が間近に迫り、いろいろと調べモノ他しています。

はたしてどのような構成ですすめるのがよいのか?

展示されている絵に実際に用いられている波の表現を技術的な部分を中心に紹介し、その表現の裏側を一緒に参加者の方々に考えていただきながら、都路華香に特筆される描法を実際に試して描いてもらうことで、『日本画』の画材、価値観の一端に触れてもらえるような流れを考えていますが・・・・。限られた時間でもあり、また今という時代、『日本画』という言葉自体もある程度使い方を説明する必要もあるかもわからないし・・・・さて、どうしたものか。

不洗観音寺客殿襖絵構成図 簡単な見取り図を作ってみました。扇面が並んでいる黒いベース、完成時にはこの黒い部分は箔となり、金、もしくは銀色(プラチナ)の背景となります。宣紙はこの箔ベース部分に使われています。板戸の素材は杉です。瀬戸内春望図は大M紙を使っています。客殿一番奥の和室から入り口方向に襖を順に見ると、雪の積もる竹林の中から彼方に光を見、次ぎに広がるのはやはり光る海、太陽・龍虎、鶴亀の祝福といった構成になっています。「瀬戸内春望図」は、現在不洗観音寺がある場所が帯江という地名からもわかるように、かっては内海が眼前に広がっていたであろう事を想像し描きました。実際に見える遠景を島影に見立てたり、代表的な瀬戸内風景としての鷲羽山からの眺めなども加味して入江風景として描いています。この絵にも波の表現があります。実際に見ていただければご理解いただけると思いますが、線としての表現、面としての捉え方など、都路華香作品との出会いも制作に反映したものとなっています。
■ 不洗観音寺客殿襖絵構成図 簡単な見取り図を作ってみました。扇面が並んでいる黒いベース、完成時にはこの黒い部分は箔となり、金、もしくは銀色(プラチナ)の背景となります。宣紙はこの箔ベース部分に使われています。板戸の素材は杉です。瀬戸内春望図は大M紙を使っています。

客殿一番奥の和室から入り口方向に襖を順に見ると、雪の積もる竹林の中から彼方に光を見、次ぎに広がるのはやはり光る海、太陽・龍虎、鶴亀の祝福といった構成になっています。

「瀬戸内春望図」は、現在不洗観音寺がある場所が帯江という地名からもわかるように、かっては内海が眼前に広がっていたであろう事を想像し描きました。実際に見える遠景を島影に見立てたり、代表的な瀬戸内風景としての鷲羽山からの眺めなども加味して入江風景として描いています。この絵にも波の表現があります。実際に見ていただければご理解いただけると思いますが、線としての表現、面としての捉え方など、都路華香作品との出会いも制作に反映したものとなっています。


杉板戸である「遊犬図」が客殿に入ってすぐの左手となります。昔、学生時代に聞いた、人間の興味、心の成長のひとつの姿として、『動・植・鉱』の順に心を配れる、動かせるようになるという話しになぞらえた構成としています。最後の「鉱」については純粋に石というわけではなく大きな風景そのものとしての捉えとしました。真ん中の「四季・十二支扇形画図」は、相対する各4枚、計8枚の襖に方位を見立てて干支を配置しています。加えて、四季の花々他が順に一週するように配置され、東の卯には太陽、西の酉には月といった趣向も加えています。(総数30枚)
■ 杉板戸である「遊犬図」が客殿に入ってすぐの左手となります。昔、学生時代に聞いた、人間の興味、心の成長のひとつの姿として、『動・植・鉱』の順に心を配れる、動かせるようになるという話しになぞらえた構成としています。最後の「鉱」については純粋に石というわけではなく大きな風景そのものとしての捉えとしました。

真ん中の「四季・十二支扇形画図」は、相対する各4枚、計8枚の襖に方位を見立てて干支を配置しています。加えて、四季の花々他が順に一週するように配置され、東の卯には太陽、西の酉には月といった趣向も加えています。(総数30枚)



鷲羽山付近からの眺め。そう言えば、竹喬さんがこの島を「雨の海」として描いていましたね。実際に描いた視点はこの写真撮影場所よりもっと海に近く、おそらく海沿いに立つホテルあたりからのように思います。
■ 鷲羽山付近からの眺め。そう言えば、竹喬さんがこの島を「雨の海」として描いていましたね。実際に描いた視点はこの写真撮影場所よりもっと海に近く、おそらく海沿いに立つホテルあたりからのように思います。
 

■ ワークショップ準備・覚え書き

1.都路華香の時代、特に明治維新頃までのこの国(日本)の絵画に対する価値観は、多くの場合、仏教等と一緒に持ち込まれた中国絵画の影響によるところが大きい。
モチーフ、構成、描き方、画面の形式など、多くを中国古典絵画に出典、源流を見る事ができる。

華香が試みている波の描法、特に線を主体とした表現は、南宋時代の画家、馬遠が描いた「水巻」の中にも多くの類似性を見ることが出来る。華香のみならず、江戸時代の画家達も同様で、北斎の描いた富岳三十六景、有名な波頭ごしに富士を遠景に見る「神奈川沖浪裏」の特徴的な浪表現にもその類似性を認められるような気がする。

線を描く筆という道具とも関係を考えたい。


2.明治維新によってもたらせられたもの
西洋の先進的近代化された姿と重ね合わされれた西洋絵画の価値観。当時の風潮として一段低く見られる東洋(日本)絵画において、自分たちのオリジナルな価値観を発見したいという試みの一つとして華香の絵の具を流す描法を捉えたい。

写生をベースにした表現と日本画材ならではの特性を融合させた表現へのチャレンジ。

当時、岩絵の具は大変高価なもので、きちんと塗るのが当然の姿、流すというのは大変勇気の必要なチャレンジだったと考えられる。絵の具を流すという作業にいたった経緯には、いわゆる西洋絵画・洋画が当時立てたまま描くという認識だったこととも無関係では無いように思う。同時に日本絵画のきちんとした塗り方というのはある意味で工芸的な要素を感じさせ、当時の工芸を工業的なものの一つとして捉えようとする見方に対して日本絵画を芸術的表現の一つとして認知させたいなどといったことも考えていたように思う。しかし、この流して得られた結果を明らかな美的表現として認めた段階である発見にいたったのではないか?。同様な価値観の発露としてたらし込みの技法も考えられるように思う。

3.実際に、たらし込みの技法、絵の具を流す表現を、試し描くことによって、「水」の果たす役割、日本的な価値観のあり方を体験、一緒に考えたい。

古典的な絵画描法を具体的な価値観の共有方法と捉え、コンピュータグラフィックにおけるプログラミングやコンテンポラリーと呼ばれる表現との関係性にも思いをはせられたらと思う。

 


Copyright (C) tomoki All Rights Reserved.
このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。< kibicity-記事発信支援システム>