5/17//2007 吉備雑感日記  
霧中アトリエ 森山知己のホームページ|■語句・項目検索


古い体と新しい体

今更のように「身体」をどのようにとらえるかなんてことをふと考えたりします。加齢によって、思うように体が動かなくなったとか、疲れやすくなったとかといったぼやき?も一面ではあるのですが、今回話題にしようとしているのは、それとはちょっと外れた話しです。

あるべき体とは、はたしてどんな体なのか?「健康である」というのも確かに多くの人にとって重要な一つのテーマではありますが、はたしてそれが「自然」な姿かどうかと問われるとちょっと考えてしまいます。

(若い頃のような体を)維持するために定期的なトレーニングをするとか、それ以上に積極的に体を鍛えるとか、場合によってはメスを体に入れたり、薬の力をかりるとか。そのままにすれば衰えるのが自然な姿だとしたら、無理しているとも言えますね。
 

月面撮影 デジスコ ※クリックすると大きく表示されます。
■ 月面撮影 デジスコ 
※クリックすると大きく表示されます。
 

■ 昔の絵に見られる描き方、絵の具の定着の姿、それらの中に感じる私が好ましいと感じる何かを実際試して描き捜す間に知らず知らず敏感になった感覚の存在。

紙、絹、筆や刷毛を使うときにフィードバックしてくる感覚をある意味では育ててきたとも言えるのではと思っているのです。
 


現れた月。身体性とアート、伝統、近代社会、消費。モダンとポストモダン。グローバルという言葉が取り上げられると同時に、地域性とかといったことが取り上げられることが多くなったように思う。社会の中で、最大多数を占めると思われる「会社員」とか「公務員」と呼ばれるいわゆる「勤め人」の姿。彼、彼女らが構成するマーケットが均質化の代表ならば、いわゆる職種の多様性を復活することが地域の特色作りに大きな意味を持つのではとふと思うのです。自営業?がのびのび生きられる街作り。商店街が生き生きする街作り。都会で暮らし続けることによって機能しなくなったセンサーの存在。このセンサーを機能させる何かを考えるとおもしろいことが起きるのかも・・・・。人の異常な多さ、人工物ばかりの街、生理的に嫌だと感じる何らかのセンサーを育てる力がが田舎暮らしにはあったのかもとふと思うのです。
■ 現れた月。

身体性とアート、伝統、近代社会、消費。

モダンとポストモダン。

グローバルという言葉が取り上げられると同時に、地域性とかといったことが取り上げられることが多くなったように思う。

社会の中で、最大多数を占めると思われる「会社員」とか「公務員」と呼ばれるいわゆる「勤め人」の姿。彼、彼女らが構成するマーケットが均質化の代表ならば、いわゆる職種の多様性を復活することが地域の特色作りに大きな意味を持つのではとふと思うのです。

自営業?がのびのび生きられる街作り。商店街が生き生きする街作り。

都会で暮らし続けることによって機能しなくなったセンサーの存在。このセンサーを機能させる何かを考えるとおもしろいことが起きるのかも・・・・。

人の異常な多さ、人工物ばかりの街、生理的に嫌だと感じる何らかのセンサーを育てる力がが田舎暮らしにはあったのかもとふと思うのです。
 

■ この国ではそれなりに長い年月、筆記用具と言えば、「筆」だったと思われます。その後、鉛筆、万年筆、シャーペン、ボールペンと技術革新され、また社会の構成、姿も変わり、使える人は飛躍的に増えたことも事実でしょうが、一方、ある種のセンサーは道具の変化とともに開発されなくなったとも思われます。

「人間は体を加工することによって文明を築いてきた」

はたして、「水」を体感するメディアとどんどん乖離するこの国の生活。それはこの国のかって特色と呼ばれた何かとも離れていくことに繋がるように思います。一方、巨大なマーケットを形作るのに均質化は重要な要素です。消費社会の中で、身体が果たす役割。「自然」なんてキーワードが大きく扱われていますが、都合良くマスマーケットを構成するような加工が知らず知らずのうちに施されているのかもわからないと思うのです。

※「人間は体を加工することによって文明を築いてきた」は、ネット上にある文化人類学の講義記録で見つけた言葉です。三浦雅士著1994年『身体の零度』に興味がわきました。肉体を意識すること、肉体による脳への刺激、肉体の終わり「死」を意識することから始まる何か・・。

 


Copyright (C) tomoki All Rights Reserved.
このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。< kibicity-記事発信支援システム>