7/26//2007 吉備雑感日記  
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身体を信じてみる

なにかと慌ただしい日々が続いています。ここのところ、もやもやと漂うように頭に浮かんだあれこれは、そのおりおりの慌ただしさに置いてけぼりとなり、それでいてあらためて考えると、なんだか全て繋がっているような、そうでもないような・・・・・。

こうしてどうにか書こうとすることは、牛の反芻にも似ているとふと思ったり。
 

『水の記憶』No.85 群青という天然の石を砕いた絵の具を使っています。
■ 『水の記憶』No.85 
群青という天然の石を砕いた絵の具を使っています。
 

■ どこで読んだのか、聞いたのか・・。人間がメロディーをいかに認識するかと言う話しのなかで、連続するそれぞれの音程、音長、一個一個を覚えることで、逐一それにマッチするかどうかで判断しているだけではなく、その連続する全体像をもっても行っていると言う話し。その例として、少々テンポが崩れようと、調整が変わろうと、音がたまに外れても?認識できるということが上げられていた。

コンピューターの画像処理の話しでも似たようなことは昔から言われており、現在デジカメに搭載されるようになった「顔認識機能(撮影画面の中で、それが中央とか決まった位置になくとも、人間の顔としてカメラが認識する焦点に自動でピントを合わせる機能)」なども「認識するという機能」の理解を具体的に表している。


月の画像・デジスコ
■ 月の画像・デジスコ
 

■ 絵画作品、音楽作品、作られた作品から作家を特定するという行為に意味があるかどうかは別として、慣れてくると誰しも、なんらかの類似性の発見によって、同一作家のモノであるかどうかを判断していたり、「好み」と言ってみたり・・・。
グラフィックソフトに見られるある種のフィルター機能なんて、ある意味でそういった理解の具体的表現、共有の試みともとれます。(・・と、ずいぶん昔に書きましたね。)


さて、「日本らしさ」とかって、はたしてどのように認識できるのだろう?というところにふと思いがいたります。もちろん「国民性」なんてことも。

日本人について考えようとすれば、ナショナリズムについて考える必要も当然でてくるわけで・・。


道具は、身体機能の抽出であったり、拡張であったり、そしてそれは、ある種の価値観の表現ともなっている。

そこで?すでにある道具との関係、それによってもたらされる身体の感覚を信じてみるという方法も・・・。

 


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