12/20//2002 吉備雑感日記  記事
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「見えない絵」の話

10年程昔のことになるけれど、美術館でおこなった展覧会のカタログに、「見えない絵」という一文を書いたことがある。要約するとすれば、「<見えている>という視覚を信じて、その時々に見えているモノを全てと感じる自分がいるが、時を待って見直すと、新たな発見に至る。」というような内容だった様に思う。

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 ■ 目の前に「絵」を置き、眺め、見つめる。

美術館での名画との出会いはもとより、名も知れぬ誰かが描いた絵であったり、はたまたかって自分が描いたモノであったり。

変わらぬ姿を見せているはずのそれがある時、これまでと違った姿を見せ始める時に出会う。絵が変わったのか?もちろん、物質としての絵は変わっていない。(はずだ?)

絵が変わっていないとすれば、今日、発見にいたった何かは、最初からその絵の中に在ったことになる。

だとすると・・・・<見えている>と思っていた絵の中にその時<見えなかった(けれど今なら見える絵)>が最初からあった・・・事になる。

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 ■ 世の中の先輩諸氏にしてみればごく当たり前の話かと思うが、ふれあう季を改めることで、関わるモノ、「絵」に限らず、「人」、「自然」関わる全ての事でここで紹介しているような事は少なからず在ることだと確認するに至る。

当時の私の思いはといえば、日々の絵を描く作業の中で、歴史の重み!古いと呼ばれる絵画の中にいかに自分がそのかけらも見てこなかったか?という発見の連続だった頃でもあり、絵に限った事のように考えていたように思う。

歳もいくらか重ね、自然に日常的に触れて暮らすようになり、「見えない絵」は何処にでもあると思うようになって久しい。

何故、唐突にこんな話を書いたかというと、最近ふとしたきっかけで、かって読んだ本をもう一度読み直し、同様の体験をしたから。

次は、どんなことに出会えるか?

 


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