2/16//2003 吉備雑感日記  記事
霧中アトリエ 森山知己のホームページ|■語句・項目検索


単純化とモデル

「こぼれ落ちていく」
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/image/2003/021601/index.html

で、つい?書き始めたのでその関連する事柄について。(忙しいのにこんなことやってていいのか???自分)

simg0216113052.jpg
 ■ 左画像は古い時代の書(線を引く技術)、紙との関係(料紙)を研究していた頃に実際に制作し試した紙片です。

自分で作ってみようと当時のものを実際に手に取り、眺めてみるといろんな事を発見します。そして、それを見るだけに止めず自分自身の手で同じものを作ってみようとすればその違い、発見の数もどんどん増えてくるものなのです。

つたない私のテスト制作紙片ですが、それでもこうしてデジタル画像になった瞬間に失われる情報のなんと多いことか。しかし、この失った情報の存在をどのように理解するかがいままさに重要な事になってきていると思うのです。

古くて新しいもの

http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/image/2002/102001/index.html

で少しだけふれましたが、何が大切なのか?というその時々の評価のあり方が理解とも密接に関わって、伝承、伝達などにも影響を及ぼすということなのです。そしてその課程で「こぼれ落ちる」ものの存在。


左の紙片ではすでに複雑?になりすぎてしまっていますが、たとえば、「書」というもの、結果物として残っているものをどのように評価していくか?

1.文字(字の形)
2.内容(文書なりの)

単純に文字情報を残しただけのものとしてとらえるなら、漢字など言葉自体の時代的な違いはあるにしろある程度今の時代のデジタルデータ化が可能なことがわかります。だって!テキストですから。

<白い紙の上の黒い線の集積>としてとらえたら・・・コピー機、デジタル画像としてもOKでしょう。白黒1ビット?

simg0216115425.jpg
 ■ しかし、上記だけの評価では同じものは作れません。(もちろん全く同じ?は無理ですが近づけたいという作業がどこまで追い込んで出来るか?というところに今回の話の中心があるのです。)作ろうと試みることにより、人間を引きつけ、捉える<何かの存在>を明確な価値として認識する作業が必要となるのです。

基底材となっている紙、施された処理の数々。文字自体をとってみても、単なる白黒?二値化出来ない情報をたくさん含んでいます。

書に関わる研究者の方との話の中から、墨を置いていく時間(線を引く速度)が基底材の上に乗る具体的な墨の厚みとなり、その事から実際に見えている以上に「時間をかけて線を引く」という事に対する価値観が重要であるということを聞いたことがあります。

早く軽やかに流麗にかかれているように見える姿が、「墨の厚み」といった着眼点、評価の手法を持つことによって見えてくる世界があるのです。実際、そのための書法が絵に及ぼしている影響も日本での書や絵画を見たり考えたりするときに無視できないと思うのです。もちろん「日本画」なるものの成立にも。

スピードがキーワードで進行する現在、伝統をいかに今に生きさせるか?・・・・。「スロー」というキーワードも聞こえてくるようになりした。今、過去に対する理解の過程で単純化やモデル化を誤っていなかったか?再考する必要があると思うのです。

その過程で見えてくるもの!価値観の存在こそ、現在新たな提案となったりグローバル化するなかでのアイデンティティー確保にもつながるようにも思うのですが・・・・・・。

 


Copyright (C) 2003 tomoki All Rights Reserved.
このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。< kibicity-記事発信支援システム>