10/17//2005 吉備雑感日記  記事
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倉敷市児島・「野崎家の屏風展」他

この15日、16日の両日、倉敷市では屏風を間近で見られる催しがいくつかありました。一つ目は有名な倉敷美観地区の沿道沿いの町家が自慢の屏風を披露する「倉敷屏風祭」、二つ目は先日紹介した天満屋倉敷店での「日本画・墨跡・屏風展」。そして、三つ目、タイトルに上げた倉敷市児島・「野崎家の屏風展」です。

まず最初の「倉敷屏風祭」について・15日はあいにくの雨模様だったようですが、そのためかえって白壁や鈍色の甍、時代を感じさせる町並みはより陰影を深め風情を増し、雨によって濡れた路面が飾られた屏風とのコントラストを演出していたようです。(残念ながら上記様子は倉敷ケーブルテレビの放送を見ての感想です。)新しい屏風もあり、それぞれの飾り付けも見所でしょう。呉服屋さんの着物は印象深かったです。なお、16日は良い天気に恵まれました。

二つ目の天満屋倉敷店での「日本画・墨跡・屏風展」については
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/image/2005/091801/index.html
上記記事でご想像ください。

そしてタイトルに上げた最後の倉敷市児島・「野崎家の屏風展」について。同じ倉敷市とはいえ、先に上げた二つの展覧はどちらも倉敷駅からほど近い場所での開催でしたが、倉敷市児島は瀬戸大橋のかかる海沿いの町です。倉敷市街とは約20km程度の距離があります。岡山駅、児島駅間はJR瀬戸大橋線で結ばれていますが倉敷から電車で児島となるといったん岡山駅まで出て乗り換える必要があり、ちょっと不便です。自家用車でのアクセスについては今回の国体に間に合わせるように?開通した道路もあっておおかたスムーズ(観光地いつものつね?日曜夕方、倉敷市街地付近は渋滞しましたが・・・)に移動出来ました。

さて、本題の「野崎家の屏風展」です。児島駅のあるあたりほか旧塩田のあった広大な土地、山一つお屋敷のような野崎家旧宅の存在は知っていましたが、高校通学時、川沿いに延々と連なる塀に囲まれた印象深いお屋敷が今回初めて野崎家の別邸、たい暇堂(”たい”しんにょうに台という漢字です。)だと知りました。通常非公開のこの別邸、たい暇堂で初公開の屏風展!「これは見に行かねば・・・」と出かけたのです。
 

野崎家旧宅の入り口
■ 野崎家旧宅の入り口
 ■ まずは野崎家旧宅をざっと紹介しましょう。所在地は倉敷市児島味野、<日本の塩田王と呼ばれた野崎武左衛門がその気宇に合わせて天保から嘉永年間にかけて次々と築いていった民家(パンフレットより)>だそうです。左画像はお成門、長屋門の様子です。裏山が写っていませんが山も含めて?すべて敷地と聞いたことがあります。<敷地約3000坪、建物延床面積1000坪とか広すぎて」ピンときません・・・・^^;>

※・紹介画像は全てクリックすると大きく表示出来ます。

長屋門を抜け、正面右側の土蔵群です。
■ 長屋門を抜け、正面右側の土蔵群です。
 ■ 野崎家の紹介では良くでてくるアングルの画像、倉の並び。左には母屋、茶室、庭園、水琴窟のある表書院・・・・

倉を改装した展示資料館もあります。大きな岩塩とか雛祭りの頃には享保雛が展示されたり、、、、見所はたくさんです。駐車場もちゃんとあります。

詳しく紹介していると旧宅だけで終わりそうなので、本題の屏風展へ!!

野崎家の別邸、たい暇堂入り口付近
■ 野崎家の別邸、たい暇堂入り口付近
 ■ 野崎家の別邸、たい暇堂(”たい”しんにょうに台という漢字です。)通常非公開。

旧宅から少し離れたところにあります。(歩いて50メートル程度)ちょうど旧商店街を挟んであるのですが、昔(40年程度前!)を知る身にはちょっと寂しい商店街の姿でした。いやー当時は凄いにぎわいでした。(これは別の話ですね。)

別邸の玄関
■ 別邸の玄関
 ■ 私が訪れたのは16日午後ですがかなりたくさんの方々がお見えになっていたようです。


 
はなれの様子
■ はなれの様子
 ■ こういう展示にしては珍しく、撮影をしてもよいとのことで、スナップを撮らせていただきました。

遮るガラスもなく、使われている絵の具、紙の肌、描き手の様子が直に伝わってくるようです。

張り混ぜ扇面屏風、短冊を多く並べたものも興味深かったです。モノ自体の良し悪しは別として特に扇面は実際に扇子として仕立てられ使われたものが使われており、紙の質、墨色、描き方ほか、それぞれの違いを見るだけでも楽しいものでした。

左画像の縁側左手にはお庭が広がります。普段公開されていない場所だけに張り替えられた障子、畳、手入れされたお庭など、この公開に際しての準備もさぞ大変だったことでしょう。


日本の伝統、文化とは一口に言いますが、和の暮らしも変わってきました。確かに今の世の中、こうしたお屋敷、建築空間の方が特別(作られた当時だって特別には違いありませんが・・・)なのは事実でしょう。それでもこうした非日常の試みがもたらしてくれる<何か>の存在。それはゆっくりと流れる時間、かってあった時間とのとのふれあいのような気がします。

世の中の多くのモノが現実の時間との結びつきをより深める中、非日常への入り口としてのARTの存在、重要さを今更のように感じる体験でした。

古い建物、町並み、風景、自然、手作りのモノ、記憶。今だからこそ、消費だけに向かうのではなく古いモノを「大切にする」という姿勢こそ重要なのではないか・・・・・・。そんなことをふと思いました。

 


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