2/1//2006 吉備雑感日記  記事
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水の記憶

「水の記憶」と題した個展を現在アートガーデンで開催中ですが、この「水の記憶」というタイトルについて聞かれることも多く、まとめておくことにします。
2006年1月25日(水)〜2月13日(月)まで<火曜定休>
個展の様子は以下リンクよりどうぞ>
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/image/2006/012501/index.html
 

1986年 水の記憶 第二回蒼粒展166.0×364.0センチモデルとしての具体的な場所はありませんが、当時住んでいた場所の近く、善福寺や石神井公園などで見たイメージも入っているように思います。
■ 1986年 水の記憶 第二回蒼粒展
166.0×364.0センチ

モデルとしての具体的な場所はありませんが、当時住んでいた場所の近く、善福寺や石神井公園などで見たイメージも入っているように思います。
 ■ 初めて「水の記憶」というタイトルを使ったのは1986年に開催された第二回蒼粒展(日本橋高島屋・大阪なんば高島屋)への出品作でした。(蒼粒展は1994年の第10回展まで開催)

大きな作品を自由に出品してよい、大変恵まれた展覧会でした。

資料を確認してみるとちょうど私自身二回目の個展を開いた年でした。制作は紙本であり、銀箔をベースに粗い絵の具を多く用いた表現でした。画像では暗いイメージとなっていますが、右隅の植物など鮮やかな緑青を使っています。

1992年 滝 10号日本画4人展出品(大手町画廊 グループ展)黄唐紙に墨、胡粉で描いています。
■ 1992年 滝 10号
日本画4人展出品(大手町画廊 グループ展)

黄唐紙に墨、胡粉で描いています。
 ■ 第一回の個展から海のイメージ「波」を描いた作品もあり、その後も無意識ながら「水」に関連するイメージを多く描いていたように思います。

1988年画廊宮坂での第三回個展から絹本を多く用いるようになりましたが、それは当時、私自身の中で「やわらかさ」というテーマが次第に大きくなったためでした。 空気中の何気ない湿り気や雪、風の体感の表現といったものがおぼろながら捜す対象となっていたように思います。

1989年大手町画廊での第4回個展では絹本中心に牡丹だけを画題とした展覧会を開きました。絹の上でのぼかす表現をいろいろと試しましたが、空気感の表現といったものを捜していたように思います。

同年、画廊宮坂で通算第5回目となる個展を開くのですが、この時は黄唐紙に墨、金泥、胡粉を使って水を感じる空気、やわらかさなどといったテーマを追っていたように思います。

1990年の通算第6回目の個展(大手町画廊)では風景をテーマに1991年の通算7回目の個展(画廊宮様)では花をテーマに絹本をベースとして同様の「やわらかさ」「水」の感覚を捜す事が続きます。個展以外のグループ展、企画展も同様の出品でした。水墨の牡丹の形が背景にとけ込んで今にも消えていきそうな制作や、月のみ、月に雲、大気といった制作が行われ、形の省略、単純化などを行った制作が一部見られ始めるのもこのころです。

1992年制作のの左画像「滝」、この作品には説明的な要素がまだまだありますが、このころからハッキリと確信犯的に水のイメージだけに絞り込んだ制作がスタートしています。墨だけ、墨と胡粉だけなど、黄唐紙、絹、素材との関係を楽しみながら制作しました。タイトルとしての「水の記憶」を意識したのはこのころからです。

水の落下、沸き立つ水煙など部分が全てのような「滝」の制作・発表もこのころからです。大切にしたのは絹の上で墨や胡粉が水の力を借りて現れす質感の世界(こればっかりは・・実物を見てくださいね)。また、「暈かす」をキーワードにした価値観(別ページ参照の事)にこだわったのもこのころからです。

岡山駅西口から徒歩でアートガーデンへの地図迷われることが多いとのことで・・制作いたしました。
■ 岡山駅西口から徒歩でアートガーデンへの地図
迷われることが多いとのことで・・制作いたしました。
 ■ その後、江戸をテーマとした個展や手のひらサイズにこだわった個展などを開きましたが、「生の自然の中でもう一度スタートしたい」という気持ちが強くなり現在のこの地に引っ越して来たのです。(この地を選んだ決め手は初めて訪れた時見た早朝の霧でした)

その後、個展全体のテーマとして「水の記憶」というタイトルを1998年日本橋高島屋>難波高島屋>岡山高島屋と巡回した個展に付けましたが、出品内容は風景、花、現在に続く私がこだわっている、もしくは捜しているテーマ全体としてのタイトルとなったのはこの時からです。

制作において個別の題名を付ける場合ももちろんありますが、この時から私自身の中で「水」というテーマが中心と思われる時には「水の記憶」というタイトルを使うようになりました。2004年開催した高松天満屋「水の記憶」個展(通算24回目)は、全ての作品において「水」と言うテーマを素材の使い方、技法も含めて意識し、意図的に発表した最初の展覧会でした。

岡山駅西口からタクシーでアートガーデンへの地図
■ 岡山駅西口からタクシーでアートガーデンへの地図
 ■ すでに書きましたが、「日本画」という言葉からイメージする内容も人それぞれ。あえて「膠絵」とこだわって呼ぶ人もいるくらいはなから「日本画」という言葉さえ微妙な存在としての側面もあるようです。

私自身は「日本画を描く」とは「日本人の価値観を絵にしようとする試み」と捉えたいと思っています。恵まれた自然環境、四季の存在は、この「恵まれた水の存在」と無関係で無いことは明らかです。紙を漉くこと、筆と言う道具の存在、墨、絵の具を塗ること、描くこと、綺麗な発色を得るために水に教えられることが多々あります。水がはたしている役割はとても大きなものなのです。

雨、霧、雪・・空気中の水分が見せてくれる様々な姿、この中で生きる事、こうして何らかの価値観が出来ていることも事実だと思うのです。

アートガーデン駐車場自家用車でのおいでは、国道180号線を基本に考えてください(細い道に入って迷われる場合が多いようです。)
■ アートガーデン駐車場

自家用車でのおいでは、国道180号線を基本に考えてください(細い道に入って迷われる場合が多いようです。)
 ■ 「わがままかって」「なんでもあり」確かに自由とはありがたいモノです。しかし、それだけではたちゆかないことも多く出てきているのは誰もが感じるところでしょう。

時間というモノを捉えることにおいて、また環境とのよい関係構築も含めて、「水に教えられる価値観」といったテーマが大きな意味を持つのではと漠然と思う今日この頃です。

地球のことを水の惑星と呼ぶのだとか・・・・人間の体の大部分は水から出来ているとか・・・DNA・・いろんな事をイメージさせてくれるなかなかよいタイトルと思っているのですがさていかがでしょうか?。

 


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