9/19//2006 吉備雑感日記  
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美しい国について

私が東京に住んでいた頃描いていた絵というのは、多かれ少なかれ高校まで暮らした田舎で得た何かに寄っかかって出来たものだったような気がします。当時、描いていた瀬戸内の風景はもちろんのこと、一見、何の関係もないように見える花などの植物も、少年の頃、自然の中での遊びや、暮らしの中で得たなんらかの記憶がベースとなっていたように思うのです。
 田舎で暮らした時間を越えて、東京での生活が長くなった頃、もう一度自然の傍らで暮らしたいと思う気持ちが大きくなり、ここ吉備高原との不思議な縁もあって越してきたのですが、この決断には、長くなりすぎた都市部での暮らしのなかで、暈けていく何かの存在に危機感をもったということもあったように思います。
 
 

山桜の紅葉が進みました。先日の台風、強い風でかなり落ち葉もありました。
■ 山桜の紅葉が進みました。
先日の台風、強い風でかなり落ち葉もありました。
 

■ 自然の側で暮らせば、よい絵が描けるのか?・・・・そんな単純な話しで無いことは明らかですが、少なくとも描き手の一人として、そのような暮らしによって、何らかの安心感を自然から得られるであろう事を期待したことは事実です。

かって価値ということを執拗にこのサイトでも書いたことがありましたが、個々人それぞれが何を大切に思うかの大筋について、そこに幼少年期の暮らしが大きな影響力を持つと思うこと自体、異論を持つ方は少ないと思われます。

生まれた地域社会固有の何かの存在、影響を否定するつもりはありませんが、それを越えて、その地域、自然自体から受け取った何かによって作られた価値観は、より範囲を広くした共通体験として郷土愛とか国を愛す心なんて呼ばれるもの?に繋がっていたのではないかと思うのです。


名を知らぬ花
■ 名を知らぬ花
 

■ 田舎で暮らしていると、繰り返す季の流れと言うことを強く意識します。春から夏、秋が来て冬、そしてまた春の訪れ。稲の生長など本当に身近に感じる風景の一つです。

一方、ますます自然から切り離され、脳化されたエリアとして集約を進める都市。また、それにつれ都市生活しか知らない人もどんどん増えて来ていると思われます。東京発、自然との抜きがたい経験が少なくして生まれる価値観が既定のものとしてマスメディアに乗り全国に広められます。

この国の文化、伝統と呼ばれるような大切な価値観醸成において、もし自然との暮らしが重要な役割をもしもっていたのだとしたら・・・・・。

 


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