4/18//2007 吉備雑感日記  
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日本コスプレもしくは、コスプレ日本

いまどき、いい歳したおじさんが「コスプレ」なんて言葉を使うと、間違いなく怪しく思われるか、ひんしゅくをかいますね。出先でこの言葉を思いつくなりついしゃべってしまい、回りにいた方々に怪訝な顔をされてしまいました。

都路華香さんのことを考えることは、幕末から明治維新の頃の日本を振り返ることに繋がりました。和魂漢才、和魂洋才、戦後はさしずめ和魂米才か?なんて言葉とも出会いました。戦後も60年以上が過ぎ、西洋的な教育、価値観が社会のベースとなってきた今なら、もしかしたら既に我々は洋魂とは言えないまでも、「和才」なんてことを真面目に考える時期に来ているのかもわかりません。もっともこの「和」という部分がくせ者ですが・・・。
 
・・というわけで、「なりきり(古い?)日本人」なんてアプローチもありかも?と思うのです。
 

落ちた藪椿に桜の花びら。吉備高原はまだまだ山桜が咲いています。
■ 落ちた藪椿に桜の花びら。吉備高原はまだまだ山桜が咲いています。
 

■ 大学を出た頃、もう一度現在、『日本画』と呼ばれている絵画を自分なりにとらえなおしてみたいと思い、試行錯誤を古典的なモチーフの使用や、材料・描法に求めた事がありました。現在でもその延長線上に私の作業の多くはあるのですが、当時、「和魂」なんて、なかなかわからないのだから、「才」の部分に注目してみれば具体的な何かに出会えるかもと思ったのです。
 


桜の花びらたとえば学生服。生まれながらに個としてそれぞれが違うことは当たり前のことなのだから、学校において、あえて同じ服を着ると言うことは、言い古されたことばではあるけれど、「没個性」のように見えて、逆にある部分ではそれぞれの個の違いをより明らかに表す作用もあるように思う。教育とはなにか?どのように考えるかで制服や個性のとらえかたも変わってくるように思う。
■ 桜の花びら

たとえば学生服。
生まれながらに個としてそれぞれが違うことは当たり前のことなのだから、学校において、あえて同じ服を着ると言うことは、言い古されたことばではあるけれど、「没個性」のように見えて、逆にある部分ではそれぞれの個の違いをより明らかに表す作用もあるように思う。

教育とはなにか?
どのように考えるかで制服や個性のとらえかたも変わってくるように思う。
 

■ モチーフ、材料や技術は、その時代を表す明確な価値観の現れに他ならないのですから、もし、素材や技術が危機的だと思われるようなら、ベースとなる価値観自体がすでに危ない!ということになるのだと思います。

たとえば、『日本画』という言葉にどんな意味をあたえるかについて、その基底材となる和紙や絹の出来、使う筆、刷毛の出来、膠の品質に実はその現状が現れているとも言い換えられると思うのです。『日本画』を描くこととは、もともと個人だけの作業で完結しているものでは無く、素材や道具制作とも密接な関係があるはずなのです。

なんでもありの世の中だからこそ、後ろ向きかもわからないけれど、あえて古い衣を着てみることでなにか見えてくる物もあるように思うのです。

 


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