12/2//2006 展覧会案内・感想  
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都路華香展 京都国立近代美術館

昭和7年、銀地に群青、福田平八郎が発表した「漣(さざなみ)」。知る人ぞ知るこの作品を平八郎が描くきっかけ、影響をあたえたのではないかと言われている作品を描いた作家と聞いて、その作品を見てみたい、また、描いたのはどんな作家なのかと、好奇心にかられて一昨日、京都まで出かけてきました。

その作者の名は、都路華香。正直、最初に名前を聞いてもピンときませんでした。明治から昭和の頭にかけて活躍した京都画壇の作家であり、同じ門下、あの有名な竹内栖鳳とともに四天王の一人と呼ばれた作家であったと資料にあります。はたしてどんな制作をされた方なのか・・・・。

左・展覧会チラシ、右・展覧会カタログ
■ 左・展覧会チラシ、右・展覧会カタログ
 

■ 12月とはいえ、紅葉の残る京都はまだまだ観光シーズン、京都駅でしばらく並んで乗ったバスも大変混んでおり、道路も渋滞気味でした。賑やかな人通り、街中の様子。いかにも観光地に来たという実感です。はたして美術館も混んでいたらいやだな・・・と思いつつ、混み合ったバスからやっと解放され、降りた京都国立近代美術館前、工事中でバス停がすこしずれていました。


近代美術館からの眺め。
■ 近代美術館からの眺め。
 

■ 会場は・・・混んではいませんでした。おかげでゆっくりと自分のペースで作品を見ることができました。

「吉野の桜」、「松の月」、「東来里の朝(とうらいりのあさ)」、「万年台の夕」・・・本で、もしくは何処かで見たおり、気になった作品。私自身がこれまでずっと興味を持って見てきた大正期の画家達に繋がる要素をたくさん見つけられます。また、師、幸野楳嶺(こうのばいれい)の作「群魚図」を「水底遊魚」を見て思い出すことになったり、もちろんおそらく平八郎の「漣」制作への刺激となったであろう「緑波」、一連の波をテーマの作品にも出会えました。

「白鷺城図」「祇園祭礼図」「白鷺城」、多彩な表現の「十牛図」、紅葉、新緑を描いた作品も目にとまりました。「波千鳥」などは、波はもとより、千鳥の羽に※モーションブラー的な表現も感じられ、今にそのまま繋がるような気もして好きな作品です。

<※3DCG静止画・アニメーション制作などにおいて、羽など動きの早い物体を現すとき、完全に動きの静止したコマを作らず、動きの前後の関係からあえてぶれたような画像を生成し、動きを強調したり制限のあるコマ数のなかでスピード感のある表現とする手法。>
・・・・・

しかし、正直なところ個々の絵自体というよりも、最初ざっと一回りしたおりにもっとも気になったのは、※絵の具を流して作る表現を積極的に使っているところでした。

<※当時、日本画の描法においては、絵の具を水を用いて描くという性格上、基本的には平面に寝かして描くのが一般的であったと思われます。画面を立てて描けば、含む水分量を極端に減じた渇筆でも無い限り流れ出すのは当たり前、油絵と呼ばれる絵画との出会いもあって絵を立てて描くということも行われたのでしょう。私が気になったのは、通常のように最初は画面を寝かしたまま描き、塗った絵の具(粒子のあるもの)が乾かぬうちに、その画面を斜めに立てかけることで、絵の具が流れ出し複雑なたまり、いわば砂丘の風紋のような縞を作ることを利用した描法です。その後、その生成が適度なところで再び画面を寝かし、絵の具の定着をはかります。その結果出来た絵の具の不作為の作為と言っていいような厚みの高低を積極的にマチエールとして使う技法。そう言えば、同時代に描かれた菊池芳文の「小雨ふる吉野」を見たときも桜の花びらの中に絵の具が流れ貯まった跡を見つけて、その絵全体がもつ表現の繊細さに反した何かを感じたことを思い出しました。>

現在、発表されている『日本画』と呼ばれている絵画の中にも同様の表現を多々見ることが出来、決して私にとってそれ自体が珍しかったわけではなかったのですが、描かれた画題や様式に対してこの技法を用いることによってもたらされた「絵肌」とそれ以外の部分の表現との間に、「違和感」を感じたのです。


この感覚!<何が『日本画』なのか?>私がずっと引っかかっている問いへ、なんらかの手がかりを投げかけてくれているようにも思うのですが、答えらしい何かにたどり着くことは出来ません。もんもんとした思いのまま、何度か会場内を行きつ戻りつし、最後にコレクション・ギャラリーでの展示を見ることにしました。

明治にテーマを絞った展示です。富岡鉄斎の屏風、富士遠望・寒霞渓図が目にとまりました。好きな作品です。そして並ぶ栖鳳の作品。同時代の作品をこうして比較することで絵肌といったものへの考え方、技術とは何かといった部分がなにかしらのヒントになりそうに思えてきました。

岡山ゆかりの日本画家、池田遥邨の水彩画!の数々。その表現の西洋的な達者さとその後に発表される彼の描いた『日本画』の関係。そして明治という時代と水彩画。当時、<風景を描くなら水彩画>という認識があったと会場の説明に見つけ、同じ水で溶く絵の具である『日本画』に対しての当時の認識なども気になります。

先日見た、鳥取県立博物館、沖 一峨が江戸末期の試行錯誤だとすれば、都路華香はその時代に続く試行錯誤と捉える事もできそうです。


滋賀県・唐橋の上から
■ 滋賀県・唐橋の上から
 

■ 紅葉の残る山並みを見ながら大津へ、車窓から見える琵琶湖のなんともいえない輝き。



夕方より、京都の図案家の皆さんとお話しする機会に恵まれました。お聞きした図案の歴史、制作風景、京都の町について、日吉・美校の話し。なんだか都路華香の話しに繋がって来るようです。織物、着物、帯、何代にも渡って街が育てる何かというのもありそうです。<現在、数寄和・大津で「和三様」というグループ展を開催中、日本画(14日まで)、イラストレーション、図案の三部構成で展示が行われます。>

日中とは打って変わって、夜の京都は寒かった・・・・・博多行き最終の<のぞみ>に飛び乗るようにして岡山まで帰り、寒気と疲れを感じつつ、いつものように車を運転して山の我が家へたどりついたら深夜です。気温は5℃。


一夜明けて、買ってきた都路華香展カタログ・それぞれの解説を興味深く読ませてもらっています。膨大なスケッチ・資料の存在、「閑雲野鶴」「大潮の跡」などの参考図版、京都という町と図案の関係、竹内栖鳳、菊池芳文、河合玉堂、が同門であったこと、土田麦遷、福田平八郎らに与えた影響、弟子に富田渓仙がいたことなどなど・・・



今回は感想ともなんともまとまりのつかない記事になってしまいましたが、個人的には何かのヒントをもらったような気がしています。ここ岡山で出会ったガラス作家、工芸の関係者達との話しで出た事にも繋がりそうです。さて、その正体をどうしたらつかむことが出来るのか・・・この冬、じっくり考えてみたいと思います。


この展覧会、京都ではこの24日まで公開、

平成19年1月19日〜3月4日  東京国立近代美術館
平成19年3月10日〜4月15日 笠岡市立竹蕎美術館

岡山でも来年、徳岡神泉展を行った竹蕎美術館で公開されます。



 


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