『水の記憶』について

 <『日本画』ってなぁに?>で私の基本的な制作へのスタンスを書きました。このように古い主題、様式、描法等を直接的に使って実際に描くことにより価値観の発見へ至ろうとする制作の他に、もう一方で『水の記憶』と題したシリーズも制作発表しています。このシリーズは、先に上げた制作過程の中で発見した『日本画』と考えたい要素自体を、今日的な表現として単純化し提案、制作しているものです。はなはだ乱暴な分け方ではありますが、前者の表現は、昔ながらの複雑なままの全体像をもって、後者はそこから要素を抽出し、単純化したモデルとしての表現を試みているのです。

 このシリーズ制作を始めるにあたって、三つの大きな出会いがありました。それは時代をさかのぼる形ではじめた実制作で、「やわらかさ」というキーワードを自分の中に設定した時(1988年頃)でした。たとえば色が次第に変わっていく階調のなめらかな変化のようなものや、線自体について、もちろん描く主題と背景・空間との関係などにおいても同様にこの「やわらかさ」を求めたのです。価値観を捜す試みをはじめた当初、密度感のある細密な表現を求めて目の積んだ平滑な和紙素材をいろいろと試していたのですが、今度はこのキーワードに沿って基底材を絹に切り替え、暈かしの表現を捜すことにしたのでした。
 大正から昭和初期、絹本上に見られた大きな暈かしの表現、いろいろと試してはみるのですが思ったようにできません。そんなある日、日本画画材店の奥に見慣れない刷毛が掛かっているのを発見しました。聞けば大正生まれのある作家さんが昔あったような刷毛が欲しいと注文されたのだとか。幸い数本同時に作られたとかで、求める事ができるそうです。当時の私にしては大変高価なものでしたがピンとくるものがあって求め、試したところ、大当たりでした。これこそが求めていた胡粉、墨など細かい粒子の絵の具を暈かすために必要な刷毛だったのです。その成果は1989年の牡丹ばかりを描いた大手町画廊での個展で発表することが出来ました。
 次の出会いは、墨についてです。墨自体を昔の方のようにきれいに暈かしたいと思っていろいろと試すのですが、仕上がりが思ったようになりません。何かが違うのです。当時使っていたのは日本の墨でしたが、墨を変えてみることにしました。学生時代、ふらりと覗いた絵の具やさんで買った中国の古い墨でしたが、見事的中、墨の性質の違いが原因だったのです。またある時は大正期の表現を追う中で、村上華岳さんの水墨画手法をトレースしてみたいと試みた時でした。それは紙本に描かれた表現でしたが、なんとも柔らかさがあります。紙は黄唐紙、中国から書道の練習用紙として当時日本に入ってきていた紙だそうです。ドーサを引けば線が堅くなり、逆にドーサが弱ければ、にじみ過ぎて思ったようになりません。あるとき試しにと紙を湿らせたままの状態で先にあげた墨を用いたところ、これがうまくいったのです。ここでは紙と水、墨の関係について考えさせられました。この時の試行錯誤はやはり1989年の画廊宮坂での個展発表に繋がりました。
 三つ目の出会いはふと目にしたテレビ番組でした。明治生まれの大家、山口華楊さんの制作風景を追った番組だったのですが、それまで我流で使っていた空刷毛の具体的な使い方をこの時はじめて知ることが出来たのです。華楊さんの特徴的な画法がなんと、それまで絹の上で行われていた描法を紙本の上に展開したことだとあとで知りました。

 その後の私の制作の中で、これらの出会い、絵の具や墨での暈かしを使った表現が重要な位置を占めたことは言うまでもありません。風景や植物を主要な画題としながら、その回りの空間との関係、私なりの微妙な空気感の表現に大きな助けとなったように思います。暈かす技法はそれ自体が水とそして時間とのせめぎ合いのコントロールでもあります。一刷毛、一刷毛に『気』を集中する動き、肉体のリズム。そして水を感じ、知ること。

 刷毛、墨、描法と来た流れですが、紙と絹、基底材こそ違え、あらためて見直せば全ての場面で『水』が重要な働きをしていることに気づきます。1992年、大手町画廊でのグループ展にはじめて「滝」をモチーフにした発表をしたこのころから、この『暈かし』という技法・それを愛でる価値観を日本的な価値観、『日本画』の特筆する何かと注目するようになったのです。

 スピードの時代、誰もが忙しい。過剰で饒舌なものがこれでもかと存在するなかで全てを包含するような全体像としての提案はある場面で息苦しくも感じます。『水の記憶』シリーズは本物の素材が持つ質感の豊かさを大切にしながら、伝統と実感できる何かを表具・額装といった飾り方、楽しみ方までも含めて今日的なシンプルさで求めたいと試みている制作なのです。 

(2006.10.4 森山知己)

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