『日本画』ってなぁに?

 明治の頃、『日本』という国の名前に、絵を表す『画』という言葉をくっつけて出来たと聞く『日本画』という言葉。江戸時代、狩野派や円山・四条派などと呼ばれた当時の絵の描き方・流派を統合して、ひとつの国家的な枠組みの中に置く試みであったとのことですが、その成立には当時のこの国の置かれた状況、政治体制も色濃く影響していたと思われます。外国を意識し、一つの近代国家『日本』としてまとまろうと絵画分野の価値観の統合を目指して作られた言葉だったのかもわかりません。

 時代は巡って現代。2006年の今日、次々に発表される多様な絵画作品の中にあって、今あえて『日本画』という呼称が何を意味するのかと問われた時、少々困った現状があります。多くの鑑賞者にとって、単純に絵を見ただけでは<何が『日本画』なのかわからない状況>となっているのです。
 私自身が経験したこの30年、ある意味で『日本画の革新』とは、伝統と呼ばれるような要素を次々に壊すことだったように思います。それは『日本画』がより今日的な意味で普通の絵画になろうとした行為でもあったわけですから当然と言えば当然の結果でもあるのでしょう。また、研究者のかたがたも、もともと『日本画』なんて当時の国の都合で作られた言葉であり、具体的な絵画様式として定義出来ないものだから無くても良いとか、グローバリズムによって国民国家的な枠組みが無効になってきたのだから国家のありかたを問うようなこの言葉自体の役目も終わっているとする意見もあるようですから、もうこの言葉を考えること自体が時代遅れの話しなのかもわかりません。

 一方、社会的には未だに『日本画』という言葉に、伝統を受け継ぐ絵画というイメージがあるように思います。情報化の時代、何事も凄い速度で消費される今日において、この『日本画』という言葉がよきにつけあしきにつけ今も残っていること自体、大変貴重な意味を持っているのでは無いでしょうか。昨日まであったものがふと気づくと無くなってしまうような現代だからこそ、捨て去るのではなく少なくとも一人の人間が生きられる時間よりもずっと長く使われてきたこの言葉を手がかりに、この『受け継ぐ伝統』とは何かについて今日的に考え、取り組む意味を一人の絵描きとして感じているのです。

 私自身、『日本画』とはわからぬものでした。だからこそ学生時代からずっと今日まで、古いと思われてきた画材や描法・技術を試して描き、具体的にこの言葉に意味を与えることが『日本画』について学ぶことだったように思います。画材、描法、画題、画趣、鑑賞これらの優先順位がどうであるかはわかりませんが、それぞれが相互に関連していることは確かでしょう。

 様々な時代の様式、描法を試し、描くうち、おぼろげながら見えてきたことがあります。それはあらゆる場面で感じるこの国の『恵まれた水の存在、関与』の大きさです。和紙素材を漉くためにも恵まれた水が必要です。また絵の具を溶くにも、そして描く時にも『水』が欠かせません。絹に描く場合の暈かしなどまさしく水の力の賜物です。描くときに使う筆・刷毛、使用されている羊毛素材のように、特筆される水との親和性の発見など、用途に応じた素材を自然の中から見つけだし、表現に応じた機能的道具として洗練させて来たように思うのです。良い発色をさせようと思えば<水の力を借りるのだ>とも最近思うようになりました。またそれが出来るような道具としてあらかじめ画材がデザインされて来たのだと思うのです。表具にも水が重要です。ひるがえって、画題・画趣となっている自然との関係、海、川、湖、緑濃い山、雲、霧、雨、雪、湿潤な空気が生み出す風景、長い年月、共に暮らしてきた豊かな自然観がこうした画材や画法まで含めた総合的な価値観を育ててきたとはいえないでしょうか?。それは環境との共生が言われる今日だからこそ再び重要な意味をもった提案となるような気がするのです。

 『日本画』とはこの国の自然、『水』との高度な関係の作り方、記憶の表現。それは、画材、描法、画題、鑑賞まで含めた形で存在するのではないか?と、思っているのです。

 「近代国家を論じるときに共通の地域性、自然観を元にした価値観を持ち出すことは古い」とか、「既に伝統的な自然観はなくなった」などという話しも今日あるようですが、それはますます脳化、人工的な要素を強める都市・東京を中心にした論議のように思います。たしかにそういった側面があることは否定しませんが、一方で自然回帰、エコロジー、スローライフといったキーワードも頻繁に耳にするようになりました。そしてそれらの言葉がより強く発せられているのもまた現在の都市の姿のようです。自然の側で暮らしたいと思い東京を離れて10年、岡山の山里での暮らしは、繰り返す季の存在、昔から変わらぬ人と自然との関係を思いださせてくれるように思っています。また描くときに感じる水の感覚、手応えは以前にもましてもっと懐かしい体の中の何かとを繋ぎ、呼び覚ましてくれるようにも思うのです。

(2006.10.1 森山知己)

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