展覧会案内・感想

2009年01月16日

 澤田石民 特別展
澤田石民 展チラシ表

澤田石民 展チラシ表
笠岡市立竹喬美術館で「澤田石民」展が開かれています。平成20年11月29日(土)〜平成21年2月1日(日)

大正期の京都画壇で、国画創作協会は、とても重要な存在であったと私は思っています。土田麦僊、村上華岳、入江波光など、現在でも名前を知られる作家はもちろんのこと、一般出品にも意欲的な試みが多く見られた展覧会だったと思われるからです。

グループの名前からして「国画創作協会」です。ここで用いられている「国画創作」と言う言葉からして、明治に堰を切ったように動き出したこの国の近代化の流れは、大正期に入ってより広範な動きとなり、国民国家的な考え方もふまえつつ、個人をどのように捉えるか、個性とはといったことと向き合った制作がそれぞれの立場で活発に行われたのだと思うのです。

若い石民がその新しい動きの中に見たもの、その制作。

昭和3年、国展(国画創作協会)の解散後は、新樹社展や、山南塾展へ出品したとのこと。ただし、こうした運動の常、指導者的立場にあった土田麦僊の死去によって参加者それぞれの歩みをすることが求められたとき、石民は、同級生の林司馬らと柏舟社を起して活発な発表を続けたそうです。

残念なことに石民は、昭和19年、39歳で戦死されたそうです。はたしてこのあと、石民はどのような絵を描こうとしていたのか。そんなことも考えてしまう展覧会でした。


竹喬美術館、入ってすぐ右にある展示室Aではよく知られた竹喬の作品が並びます。美術館の展示が見やすい事もあって、うす塗りでの絵の具の使い方、描き方も参考になりました。小品ながら「晴雪」など、空を描くのに用いられた群青の使い方、雪の表現など心憎いものです。

石民作品の並ぶ展示室Cでは、習作や下絵もあり、制作と向き合った姿も伝わって来ます。チラシに印刷されている「山村の春」などに見られる柔らかさ、空間の広がりなど、細やかな神経を感じました。

展示室Dでは、林司馬の模写も並び、その繊細な作業の様子を見る事が出来ます。かって東京画壇の安田靫彦、前田青邨がその模写を認めたという話もわかるような気がします。


笠岡竹喬美術館と先日紹介した「花鳥画〜自然礼参〜」展、井原にある、華鴒大塚美術館は距離的に近く(歩いて移動出来る距離ではありません)、今回二つの展覧会をはしごしてみました。華鴒に飾られた同時代の花鳥画作品の流れも会わせてみるとまた違った何かが見えてくるかもわかりません。

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