展覧会案内・感想

2011年05月19日

 池田遙邨展 旅と自然を愛した画家
池田遙邨展 リーフレット表

池田遙邨展 リーフレット表
倉敷市立美術館で 京都画壇の巨匠 池田遙邨展 -旅と自然を愛した画家- が行われています。 
2011年5月14日(土)〜6月19日(日)
開館時間 9:00〜17:15 入場は16時45分まで
休館日毎週月曜日

倉敷市立美術館コレクションのメインと言ってよい充実した池田遙邨作品の数々。縁あって昨年、収蔵されている池田遙邨のスケッチや模写など、本画以外の資料を拝見する機会をいただきました。

凄まじい数のスケッチ、加えて数多くの模写、下図の写しなど。直接的な制作の為というよりも、もっと違う目的を感じさせる資料の数々、その存在。

変化して行く画風、遙邨のそれぞれの時代での試み。

遙邨の本格的な絵画との出会いは洋画だったのだそうです。そして、小野竹喬との出会いを得て日本画への転向となります。浮世絵や大和絵の研究、関東大震災を目の当たりにしての制作等、今回の展覧会では、そのおりおりの代表作が並びます。

第一室の展示では初期の洋画やスケッチも並び、その達者な技術の存在を見る事が出来ます。西洋的な空間の認識、技術を技術として捉えることが出来た方なのでしょう。当時の京都画壇に大きな影響を及ぼした国画創作協会の作家達がこぞって訪問し、そして制作した波切村に遙邨が取材した絹本作品も並びます。岡山県立美術館所蔵の「冬の入海」の海の表現等にまさしく竹喬などと同時代の技術を見る事が出来ます。違うのは樹木等、植物の描法、胡粉を混ぜた具絵の具によるボリューム感の描写に、洋画的な物の見方の名残を見るのです。

小さな作品ですが、「丘の道」や「伐られた株」「空」「風景」、それぞれの持つ情感。そして「瀬戸秋寥」が目にとまりました。瀬戸内の実感といったものが呼び起こされる気がします。

初期の代表作「災禍の跡」、数多く流れた震災の映像を見た後だけに、これまでとはまた違った感覚を感じました。そしていままでこの絵を見た時に気にした事が無かった「月」の存在をあらためて強く感じたのです。


ここまで書いて来てふと今、遙邨の画風の変化は、もしかしたらその折々に遙邨が考える<「日本画」とは何か?>への答えだったのかもわからないと思い至りました。

「絵」は、自分自身の表現であり、何を使って描くか、どのように描くかといった材料や手法の選択は、表現と不可分の存在であるにしろ、どこかでそれは二番目の存在、圧倒的な自己の存在が中心で、それがあってこその技術や表現方法と多くの方々は思ってしまいそうですが、明治以後の近代化が西洋化と言い換えられる様な価値観の変化を受け入れる事であり、だからこそその折々に自分自身、日本人とは何かを自問する事、これまでこの国の人々が価値を見いだし、使って来た手法を踏襲し、実際に描く事で確認したのではないかと思ったのです。

表面的な技術のみに注目すると、時流に敏感に反応した手法をそのおりおりに取り入れた画家といったイメージを抱いてしまいがちになりますが、それが自分自身、「日本人とは何か?」という問いへの確認作業だったとすると、昭和東海道五十三次や俳句の世界がなんだか繋がってくる様に思うのです。

「銀砂灘」絵を囲む銀箔揉紙、絵肌へのこだわり、「石」など、透明感のある絵の具使い。「影」のバルールの取り方のうまさ、「なぎさ」の着想と波の表現。抜きがたい日本画材料の使い方、作画のプロセスを見る事が出来る戦後描かれた作品、一方で絵は結果が全てと言わんばかりの作品が晩年増えて来る様に思います。カラー写真が発達し、多くの人が印刷物で絵を見ることが増えるのと呼応するように。

私には晩年のその描法、絵の具の使い方は、ポスターカラーなどの使い方に近く感じられます。しかし描いている内容は「日本」、今の世の中、遙邨がつけたオトシマエにも感じられる気がしました。

会期中、大規模な展示替えがあるそうです。
6月には主要作品がガラッと変わるとか、絵に近づいて絵の具の厚み、重ね方、発色の具合などじっくりと見てはいかがでしょう。筆をためて描いている部分の発見など、単なる厚塗だけではない技術の存在を見る事が出来ます。