展覧会案内・感想

2012年06月12日

 清水比庵の世界
清水比庵の世界 展リーフレット表

清水比庵の世界 展リーフレット表
笠岡市立竹喬美術館で 清水比庵の世界 展が開かれています。
2012年6月2日(土)〜7月22日(日)
開館時間 9:30〜17:00 入館は16時30分まで 休館日毎週月曜日

「文人画」という言葉がある。今なりの言葉に置き換えるなら、職業的な絵描きの描いた絵ではなく、教養を持った人が余儀的に描く絵となるのかもわからない。しかし今日では、職業として求められる絵の価値観もすでに多様化し、また教養とは何かといったことも説明の難しい存在になってしまったように思う。

文も書き、そして絵も描く存在としての文人。

ただし「文を書く」ということは、こうしてパソコンのキーボードを叩いて文章を書くことを指すのではなく、毛筆を使って書く事を意味し、「書」をすることと同義だった。

昔(少なくとも明治の頃までは)、教養人として毛筆を使って文字を書く事は誰しも当たり前の事だった。だからこそ読み手は、その毛筆によって現された結果の中に(書き手の)「具体的な時間」や「肉体」をリアルに追体験する事が可能だったのだ。それらを通して感じる「何か」。何が書かれているのか、コンテンツという言い方にとどまらない交換方法、存在がかねてより同時にあったのだ。
<同じ文章、文言、「いろは」を書くからこそ、他者との違いだけが明らかになる>加えて、<ビジュアルとしての絵>が加わる事も必然の<表現>、当初、<文人画>と断った事も絵を描く事が「職業」と直接結びついた存在として認識されていた事とも無縁では無いだろう。

<どのように伝えるか>のバリエーションの存在。個のあり方。発見の仕方。出会い。

この国の文化、教養としてあまりに当たり前の事だったから、あえて言うことも無く取り上げられてこなかった価値観の存在。

「毛筆」や「和紙」、「墨」の多様性が生まれる土壌となった存在。

自分との出会いの手法、他者との交換の手法として、コンピューター、ネットが一般化した今だからこそ、新しい提案として自覚出来る人も増える可能性があると思うのだけれど、、、、。

<何でもあり>ではなく、プロトコルの確認。