展覧会案内・感想

2012年10月15日

 没後70年 竹内栖鳳 ー京都画壇の画家たち
竹内栖鳳展 展覧会図録表

竹内栖鳳展 展覧会図録表
旅先の東京、山種美術館で特別展 没後70年 竹内栖鳳ー京都画壇の画家たち を見る事ができました。2012年11月25日まで。

 カタログ表紙、部分ですが、印象的なこの猫の絵「斑猫」。昔々、毛描きなど描写を真似しようと試みたことを思い出しました。

 「蹴合」の鶏の羽毛の様子、色、「春雪」のカラス、色合い表現、、、。犬の子の描写、他にも今展では出品されていませんが、魚の描写「鯖」などに見られる表現、若い時ですが、随分参考にしていたのです。

 昨年描いた「海中図」での鯵は、ある意味でこの栖鳳さんへのオマージュでもあるのです(このことについては、佐藤美術館の講演会で少し触れましたが、はたしてみなさん気に留めて下さったかどうか、、、。)。東京で学んだ私ですが、確かにモダンなもの、現代的な存在、東京的?な表現も嫌いではありませんが、あのころからより惹かれていたのはこうした関西、京都のあり方、やり方だったような気がします。東京を離れ、ある程度の時間が過ぎ、また取り巻く社会状況も変わってきた今、そうした関わりがまた違った意味で今に至る道筋となっていたようにも思うのです。


 こちらで暮らすようになって、竹喬美術館で企画される展覧会をより頻繁に見る機会を得られました。徳岡神泉、福田平八郎、もちろん小野竹喬もですが、他の大正期の個性的な作家たちの作品はもちろんのこと、幸野楳嶺、都路華香といった流れの根本への道筋もつけていただいたように思います。

 思えば、土田麦僊、村上華岳、入江波光、伊藤若冲、長沢芦雪、曾我蕭白、私が惹かれた作家、、みんな京都!。

 現在、竹喬美術館で開催中の「山口華楊展」ももちろん然り。私の日本画を考える手がかりは、多くの場合、京都からもらっていたのです。私が高校まで暮らした岡山という地域(岡山を関西に含めることは難しくとも、京都以西、京都的な文化が東京のそれよりもより多く生活の中にベースとしてあった場所なのです。マスコミが発達した今、それが何処もおしなべてとなってきたとしても、暮らす自然風土は、未だ変わらないと思うのです。)風土的な経験も関係しているのではそんなことも思います。

 竹喬美術館が開設されて30年、これまで開催されてきた企画展は、東京とはまた一味違った独自の視点で日本画再考、つなぐべき存在についての確認を続けられてこられたように思います。地方の小さな市立美術館の凄み、関係する方々の「人」の力を感じます。

 先日、「船田玉樹展」が東京練馬区立美術館で開催されました。この企画、より大きな視野での日本画再考が始まった事の現れと感じています。私自身も絵描きとして、日本画に関わるものとして、その使う材料の意味、基底材である、和紙、絹、天然の絵具、そして道具の存在。最も大切なのはその使い方、考え方。もちろん画題、表具、鑑賞までを含めた文化すべてを思います。一つ一つ、わかったこととせず検証していくことの重要性を改めて感じています。日本人の価値観、愛でてきたこと、単に絵画と呼んで終わらせてしまうには惜しい社会との関わり方があったように思うのです。

 江戸から現代への変化。日本画という言葉が生まれ、そしてその指し示す先の変容していく姿。展覧会図録冒頭に、山種美術館顧問でもある山下裕二さんの「教科書に載らない実力派、竹内栖鳳について」という文章があります。まさしくという思い。教育ということをあらためて思うのです。

 掛け軸での絵の具の乗り、思う以上の部分も見つけ、また暈しの技法、絵具の使い方についても「確かに」と確認出来ました。