展覧会案内・感想

2013年10月22日

 児玉希望展
児玉希望展 カタログ表紙

児玉希望展 カタログ表紙
 井原市にある華鴒大塚美術館で「児玉希望展-伝統に学び、伝統を越えて」が開かれています。平成25年10月12日(土)〜11月24日(日)月曜休館(11月4日開館:11月5日休館)午前9時〜午後5時 ただし入館は4時30分まで

 たとえ一世を風靡したとしても、社会から忘れ去られていく速度がとてつもなく早くなっているのを感じる今日このごろ。ネット検索によって、必要な情報がいつでも簡単に取り出せるということとも無縁ではないでしょう、頭のなかに何かをとどめておく、記憶するという習慣が大きく変化しているのを感じます。

 児玉希望という作家をはたして知っている人は今どのくらいいるのでしょうか。広島出身、明治生まれのこの画家、活躍したのは大正時代から昭和にかけてです。名前は聞いたことがあるけれど、この絵という特定の印象が私には正直ありませんでした。岡山に住まいするようになり、華鴒大塚美術館に伺うことが増えた関係もあって、このカタログ表紙になっている絵を印象的に覚えたり、また広島県立美術館に伺ったおり、郷土作家の展示コーナーで、児玉希望、奥田元宋、平山郁夫と三人が取り上げられている中で見た記憶があった程度だったのです。

 若い美術館学芸員の方々とここ数年に渡って材料や技法をテーマとした研修会・研究会をいっしょに行ってきたことをすでに紹介しました。今回もその流れの一環として、このカタログ表紙に使われている「一鷺栄華」という作品を題材として、児玉希望の作画、描法について検証、学んでみようという試みを担当学芸員と行いました。
 その研究結果を今展覧会場にコーナーを設けて展示しています。はたして、多様な和紙素材の選択など、また絵の具の使い方他、全てが正しいなどという気は毛頭ありませんが、制作の流れ自体は、おそらくこの様な順序、作業では無かったかと考えられる行程サンプルを作り展示しています。展示自体が本物の側であることもあって、見比べることも可能です(コーナーひとつ、角を曲がってと、ワンクッションあることが関わった私にとっては救い?でもありますが・・・)。いくらかでも古典的な技法を活かした日本画への興味、理解につながればと思っています。

 日本画の技法の多くが、「水の時間」とともにあるということが、ご理解いただけるかどうか。少なくとも、実際に描こうとした時、そのことと向き合うことになります。
 今回も、他の研究と同様、華鴒大塚美術館の協力をいただき、私と縁があり日本画を学ばれている多くの方々といっしょに「実際に描いてみることによって学んでみよう」というチャレンジを行うことになっています。

 またこのホームページ内でその作業の様子などを紹介する予定です。


 呉市立美術館蔵の「雨後」(前期11月4日まで展示)など、現在のアニメーション制作で使われる細密な背景画の世界を感じ取ることも出来るように思います。ある大きさにフレームを作り、その視線を右に左に、そして上下にと絵の上を動かしていく。またそのフレームは、望遠レンズやワイドレンズ、画角もいっしょに変えることも可能です。そうして作られた映像を会場で想像したのです。絵の中にムービーのような時間表現が試みられたのではないか。そんなことを感じました。

 広島県立美術館蔵の「晩春」に感じられる柔らかさ。印刷物ではなかなか捉えられないかもわかりませんが、その計画性、技術の確かさ、筆に込められた思いが伝わって来るようです。あの薄い花びらをいかに表現するか・ツツジの花の描きかた。止まらず揺らぐ感じをいかに表現するか・風になびく藤の花。一見、古い様式的な表現に見えながら、生き生きとした描写を見ることが出来ます。

 造形的な表現、墨を使ったチャレンジ、筆、筆意の追求。

 技術的なことに注目すると、どうしても近代の芸術を考えることから離れるような感覚を持ってしまいがちです。しかし個性の発見、その理解が社会的な背景、歴史によって変化することを見ても分かる通り、知的な成熟は、社会と無関係ではありえません。和紙や絹といった素材の多くや、筆、刷毛といった道具の工夫、技術革新も、関わる多くの職人の何世代にも渡る創意によってなされたこと同様に、絵描きは材料との関係の作り方、技法の使い方、その考え方の発見を何世代にも渡って継続し、また繰り返し行ってきたように思います。作画行程全てにおいて関わる水の性質、水の持つ時間軸、いわば「水の時間」を共有しながら、発見を行う中で紡いできた文化のあり方を思うのです。少なくともある時代まではそうだったと思うのです。

 日本画と呼ばれる存在が「伝統」を言う時、平面性や、その表現に向いた材料の違いを言ったり、花鳥風月といったテーマ、モチーフにその手がかりを求めようとすることを否定するつもりはありません。確かにそのような部分もあります。風土がもし乾燥した砂漠地帯であったとしたら、これほどの多様性をもった花鳥画とグループ化されるようなまとめは出来なかったでしょう。
 絵描きとしてこの文化、流れに関わり「日本画」を考える時、どのように「水」と関わるのか、「水の時間」をどのように捉えるのかということと向き合わざる負えないように近年感じています。「筆意」についてもこの「水の時間」を考えることが大きな手がかりになりそうに思っているのです。
 時を越えた共感。つないでいくこと。技法は、それを知るための具体的な手がかりとなるように思っているのです。


 実際に真似て描いてみる体験は、その絵とともに児玉希望さんという作家を心に留めることにほかなりません。展覧会では、墨を使った表現、線、色について再考を試みる表現など、現在の表現に繋がる様々な試みも見ることが出来ます。私も初めて見る作風、絵の多い展覧会でした。
 児玉希望さんの多様性、みずみずしい感性をもった作家であったことに出会える展覧会です。

児玉希望作「一鷺栄華」の描法  10/22//2013  材料技法