展覧会案内・感想

2015年02月14日

 没後60年 菊池契月展
菊池契月展 チラシ表

菊池契月展 チラシ表
 笠岡市立竹喬美術館で「没後60年 菊池契月展」が開催されています。2015年1月31日(土)〜3月15日(日)開館時間 9:30〜17:00 入館は16時30分まで 休館日:毎週月曜日

 日本画を学ぶようになって初めて自分で手に入れた画集が、当時、小学館が出したばかりの「原色現代日本の美術 第3巻 京都画壇 1978」内山武夫氏による監修でした。掲載されている菊池契月作品、「立女」「南波照間」「敦盛」、そして巻末の「京都画壇 第二章 初期文展と京都派」という解説と共に参考図版として紹介されている「名士弔葬」「供燈」。「名士弔葬」以外は、全て昨日、会場で見ることができました(前期は2月15日!明日までです・・・2月17日から展示が変わります)。この他にも、「ゆふべ」「夕至」「少女」「鶴」などなど、どこかで見たことのある作品、記憶に残っている作品が並びます。会場でいただいた展示リストを見ると後期展にもかなり知った作品、印象に残っている作品が展示されることがわかりました。私自身、あえて菊池契月という作家をこれまで特別に意識したことがなかったように思っていたのですが、こうしてみると私の中に強い記憶を残す何かしらがあったことにあらためて気づいたのです。
 日本画で菊池と聞くと、私がまず思い浮かべるのは菊池芳文の「小雨ふる吉野」という六曲一双の屏風、契月の師匠の作品でした。加えて今回の契月作品、これら全てが上記で紹介した画集に収録されており、今回、あらためて開いてみて、それ以外の作家、絵画、現在の私の考え方、日本画を思う気持ちの根幹に京都画壇の流れ、この本の存在があったのだと改めて確認することになりました。当時、東京に暮らしながら「日本画とは何か?」という私自身の問いと向き合う中で、自分が生まれた瀬戸内、中国地方の持つ文化風土における京都文化の影響の強さを感じ、この本で紹介されている京都画壇の中に何かしら手がかりとなるものの存在を見つけ出していたのだと思います。少なくとも私にとって「好ましい」何かが存在していたからこそ、当時この本を手に取り、そして現在まで手元においているのですから。

 ページをめくっていると竹内栖鳳、西村五雲、翠嶂、木島櫻谷、上村松園などなど、、、、麦僊、竹喬、華岳・・・・私が日本画を捜す一つの手がかりとした国画創作協会に繋がり、また福田平八郎、徳岡神泉、山口華楊さんにも惹かれたことを思い出します。それぞれのその源流のような存在が見えて来るような気がするのです。加えてその思いは、当時とは違ってより具体的な流れの体験として実感できるように思います。

 期せずして、前日、竹内栖鳳展を姫路で見ることが出来ました。また竹喬美術館からの帰り道、井原にある華鴒大塚美術館の展示も見ることが出来ました。華鴒大塚美術館でメインとして収集されているのは金島桂華、もちろん京都画壇の作家です。菊池契月は長野生まれ・・・・・・・どのように絵を学び、進展を見せるのか、結果としての創作には、京都に学んだとしても生まれ育った地域との関係は、別の大きな影響を与えているように今ふと思っています。

 一言に「文化伝統」といいますが、日常生活において、それらが確かなものと確信出来ることは実際少ないように思います。京都の持つ深さ、「伝統の存在」「長い時間を経過し、継続し続けること」を疑わなくて良い場所。この現在でも日本的な何かの存在を疑わず暮らせることの意味を思うのです。


 菊池契月作品から今、私が感じている何かしら
 京都で学んだにしろ、京都生まれ、京都育ちではない作家の中にある
 ・・・何かの存在・・・・

そんなことをふと考えるに至りました。
では、東京はどうなのか?、はたまた他の地域で日本画を描く、考える意味とは・・・・・。ちょっとおもしろいテーマにつながってきました。西欧に出かけた後に見えてくるこの国の絵画のあり方についてもつながっていそうです。

 菊池契月のこの線がどのようにして描かれたのか?
 この絵具がどのようにしてこのように塗られているのか?
 これらが持つ魅力がどのように観覧する者に入ってくるのか?

素晴らしいボリューム!おすすめの展覧会です。前期明日まで!!、後期も是非!。

3月8日にワークショップを引き受けています。線の秘密、今日紹介した何かに繋がる体験を提供できる、実感できる何かを考えているところです(要申し込み)。