展覧会案内・感想

2016年09月30日

 浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術
浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術 展チラシ表

浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術 展チラシ表
 岡山県立美術館で<浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術>展が行われています。2016年9月23日(金)〜10月30日(日)まで 開館時間 9:00〜17:00 ただし10月28日(金)については19時まで開館・入館は閉館30分前まで 月曜日休館(10月10日は開館 11日休館)

 「文人ってどんな人?」、そう聞かれて、はたしてどう答えたら良いものか。わかっているような、わからないような・・・。博識・知識にすぐれるのみならず、趣味・遊びにも通じた人、風雅・風流を分かる人とでも云うのでしょうか。もちろんこの「文」の意味の中には「書」、文字を書くということも入るでしょうし、昔の書法、筆が使えるということは、その筆を使う力によって画も!描けるということになるのです。

 昔、中国では絵を描くこと自体は「画工」いわゆる職人・技術者の仕事であり、それはある意味でビジュアルに関する情報伝達技術者という位置づけだったとか。文人の行うそれはより高次の行い、その発露としてのそれなわけです。生きること、暮らしの中に風情を感じ、趣を感じることが出来る人、「人」ならではの命の謳歌ができてこその「人」、文人なわけですね^^;。

 ・・・と、こんな話を書いたのも、リアルなもの、具体的な表現と言ったモノがこれほど日常化してくると、そうではない存在がかえってより注目されそうなものですが、なかなか世間はいつもいつの時代も忙しいわけで、風雅を理解するなんてのは、やはり非日常、芸術の世界ということで、ちょっと距離を感じたりということはあるようです。

 会場の中ほどあたりに、息子・春琴の絵が今回かなり並んでいます。几帳面で真面目、具体的でわかりやすい表現です。お父さんの絵より当時、売れっ子?だったというのもうなずける話です。

 しかしながら、会場を行きつ戻りつ眺めていると、なんとも心を捉える力でしょうか、お父さん・玉堂の絵が気になってしまうのです。

 さて、玉堂の絵の何が私の心を捉えているのか?

 画面から受ける多様性といえば良いのでしょうか、それはたくさんの種類、絵があるからという意味ではなく、一枚の絵の中に紙と墨、筆を通して行われるやり取りが単なる線を引く繰り返しにならず、いつも新しいそれになっているところのように感じるのです。筆の動き、紙に触れる筆先が初で一つ一つ活き活きとしているように感じるからです。それは墨色についても同じです。水墨の面白さ、醍醐味として「触」というものがあると思うのですが、毛筆を使う民族ならではの価値観、その現れのように思います。

 画面が作られていく様子、西洋の遠近法ではなく、心の在り方、心の動きが視線となり、線の集積、積み重なって出来ていく世界。出来上がった絵を通して作者の描く上でのこのやり取り「筆触」を見、感じること。文人画を楽しむ一つの要素のように思います。

 この国の絵画の見方、楽しみ方の一つありかた。今日現代美術として、さも新発見されたかのように言われる価値の求め方と類することがはるか昔からあるわけです。豊かさとははたしてどんなことを云うのか、たしかに人それぞれではありますが、玉堂と息子、春琴との関係、そして音楽面で才能を発揮したと言われる秋琴、親と子の関係、伝承なんてこともふと思ったりしました。


 何年か前「もしマネ」が話題となったことで名前が広く一般にも知れ渡った経営学者のピーター・ドラッカーさんのお嬢さんが、玉堂作品の所蔵家としてオープンニングに列席されていました。ドラッカーさんが心惹かれた、玉堂の世界。興味深いところです。

 とにかくたくさん!!の作品が並びます。立派な(ちょっと無い!!)カタログも作られています。なんども足を運びたく成る展覧会です。

※ 地下展示室では、国吉康雄ー日本とアメリカ 岡山のコレクションから」が行われています。これも約100点!の展示。

 力の入った!、見ごたえののある岡山県立美術館 展示です。おすすめです。