New York 駆け足の旅
2005.5.14(土)〜5.16(月)
北川 宣子
2005.5.14 土曜日
朝7:35発 サンホセからNYへ CO#1906

5時間10分のフライト
碧いカリブ海が窓の下に見える
へミングウェイの愛した海
さんご礁は白く輪を描いている
あれはフロリダだろう、キーウエストらしい海へと伸びる細い道

14:45 NYニューアーク・リバティ空港到着

デッキCよりP4へ移動
そこから、ホテルの送迎バスでDays Inn Newark Airportへ

うーん ボロい
但し、空港から5
帰りは朝早いので便利だ
部屋はさすがにアメリカだ、広い
ベッドは超キングサイズ(4人は眠れそうだ)
クローゼットにはお決まりのアイロンもあるし、強力なドライヤーもある
ここにはコーヒーメーカーが無かった
かわりに廊下にベンディングがあり、冷たい飲み物は1$だ
(サンホセ、カララでは朝、自分でコーヒーを淹れ、目覚めのシャワーが楽しめた)

ともあれ今夜の集合までには時間に余裕がある
バスにたっぷりのお湯を張り、ゆっくりと手足を伸ばす
日本人はどうしてもお湯に浸かりたい
そういえば、ランチョも、スパを建設する予定だとか、日本人客対象だろうか?
ついでに汚れ物を一気に洗濯
空港で、衆人の目の前で手荷物検査されていた
あんな目には遭いたくないが、もしものために汚れ物はなるべく持ち歩きたくない
エアコンが効いているし、アイロンもある 乾きそうだ

18:00
  さよならディナー&NYナイトツアー(89$)に、大型バスに乗って出発
山田さんの義弟、在NY37年の長谷川さんのガイド付き

ニューアーク・リバティ空港は、ニュージャージー州にあり、マンハッタンから南西25km

バスだと約1時間 電車だと約30分の距離

BrooklynよりManhattan  (山田泰照 撮影)
私たちのバスは、リンカーントンネルを通り、ハドソン川を渡る
NYを東に進み、ミドルイーストにあるレキシントンホテル内の Dynasty Restaurantに到着
ここは中華レストラン、 奥まった部屋に2つのテーブルが用意されていた

隣のブースでは、新郎は米人、新婦は中国系米人のカップルの結婚披露パーティで盛り上がっている

花嫁は真っ赤なチャイナドレスだ

私たち中老年組は、ひたすら食べて飲むのみ
前菜4種、豚ひき肉の竹筒蒸しスープ、北京ダック、ロブスターの炒め物、魚のケチャップあんかけ、牛肉オイスター炒めブロッコリー添え、椎茸と青梗菜の煮物、焼きソバ、杏仁豆腐
味はまあまあだったが、ウェイターは無愛想なことこの上なし
彼も反日デモの最中か?
皿がガチャンと投げ出される度に、ビクッとする
ところが隣の主賓の山田さんのテーブルに供する際はにこやかだ
差別しているらしい
二度と行きたくない店だった

長谷川夫人とはここで別れ、ナイトツアーに出発

まずはセントラルパークを左手に見て、5番街を北上
左窓にはメトロポリタン美術館、
続いて右の窓には白いカタツムリのような建物のグッゲンハイム美術館が臨めるライトアップされていて、よく見える

(絵 北川宣子)
アッパーイーストを過ぎ、イーストハーレムを行く
さらに北上してブロンクスへ
ヤンキースタジアムが、闇にぽっかりと円盤のように浮かんでいる

このあたり(サウスブロンクス)は治安が悪いので、歩き回るのは避けたほうが良い
スタジアムには地下鉄を利用すべし

残念なことにヤンキースは只今西海岸に遠征中
長谷川氏は松井秀喜の大ファンとか
彼はNY市民の絶大な支持を受け、真のヒーローだそうだ
5番街56丁目のトランプタワー最上階に住んでいるそうだ
(ちなみに、ここには歌手のエリック・クラプトンや映画監督のスティーブン・スピルバーグも住んでいる)

トランプタワーを見上げる (渡辺 写真提供)

長谷川氏の生NY情報満載の名ガイドに、私は聞き入っていたが、眠っていた人もいた
なにしろ連日のハードスケジュール、今朝は3時起床、おまけに満腹状態だ
外から見られることを警戒してか、バスは車内灯を消し、真っ暗の状態
眠り込むのも無理は無いが、貴重な情報を聞き漏らしてもったいない

帰路は街路灯も心なしか薄暗いハーレムを経由して、ウエストサイドを南下
アポロシアターのネオンでも見えないかと眼を凝らしたが、見えなかった
リンカーンセンターを車窓から臨む
ここはかって『ウエスト・サイド・ストーリー』のロケ地
スラム化していた所を、ロックフェラーJr.が中心となって、1950年代より再開発した
今ではメトロポリタン・オペラハウスやジュリアード音楽院を中心とした音楽の拠点となっている

9〜4月がオペラシーズン
5月のこの時期は、観劇はおろか、ドレスアップした紳士淑女の姿も見ることは出来ない
ここで長谷川氏下車
夫人と落ち合って帰宅される

ミュージカル『オペラ座の怪人』等のネオン、不夜城のブロードウェーの街を行きかう人々を眺めながらバスは南下
遠くに、クライスラービル、エンパイステートビルを見て、チェルシー、グリニッジビレッジを通る
南端でライトアップされた小さな自由の女神を眺め、バスはUターンして北上
ホランドトンネルを通って帰路についた

一度もバスを降りる機会はない
安全と時間の問題か
長谷川氏がいなくなって、バスの運転手さんが、なにやらガイドしてくれたが、私の英語力不足と、彼のひどいなまりのせいで、聞き取れない
たった一言、“Miss Liberty”だけ聞き取れた

2005.5.15 日曜日
7:30 帰国組集合
私たち残留組は8:00集合だったが、深川さん、村上さんと話し合って、ロビーで皆を見送る
8:00 長谷川さんの車に、山田さん、NY3人組同乗して出発

「お金に糸目をつけない」朝食をリクエスト

NYで今最もHOTな朝食スポットを紹介してもらう

ホランドトンネルを抜け、City Hall(市庁舎)へ

1803〜1812年に建てられたフランス・ルネッサンス風の建造物
NY一エレガントな建物として知られている
周辺は公園として市民の憩いのとなっている


(絵 北川宣子)
1860年、時の徳川幕府は、最初の遣米使節「77人のサムライ」を派遣彼らは6月17日バッテリーに上陸、
翌18日このシティ・ホールを訪れ、6月30日NY港より帰国している
バッテリーパーク (深川弘行 撮影)
さてお目当てのレストランに到着
BALTHAZAR(バルサザール?)は、80 Spring Street にある
場所はソーホーの東のはずれ辺り
ブロードウェーとクロスビー通りに挟まれたスプリング通りになる
隣はモマ・デザイン・ストア・ソーホー(日本の無印良品も扱っている雑貨店)  
古い倉庫を改造した店内は、高い天井、あめ色に変色した木の壁と床
カウンターや椅子も落ち着いた雰囲気でヨーロッパの香りが漂う
メニューは、コンチネンタル・ブレックファーストのみ
つまり「コーヒー+焼きたてパン+半熟卵」といったってシンプル
パンの種類はクロワッサン・ブリオッシュ・スコーン・カヌレ・各種ペストリーなど豊富
店内は甘いパンと、香ばしいコーヒーの匂いに包まれている
ウェイター、ウェイトレスは白と黒のユニフォームで、きびきびと無駄のない動きでテーブルの間を行き来する
客はほぼ満席(30テ−ブルはあろうか)                   
長谷川さんは、レジ係に支配人を呼ぶよう指示
スタッフオンリーのドアから颯爽と現れたのは、女優ばりの美貌とスタイルの金髪の若い女性
細身の長身を、白のピンストライプの入ったチャコールグレーのパンツスーツに包み、髪は小さくシニヨンにまとめている
いかにも出来る女性風だ
アメリカらしく、長谷川さんと“ Hello!”とハグ
すぐさま店一番の席に案内される
店奥、入り口と客席が見渡せ、しかもそちらからは見えにくいのが上席
私たちのテーブルの前には、大きな花瓶に八重桜が、人の背丈ほどにたっぷりと生けてあった
(深川弘行 撮影)
パンを一揃い、コーヒーはラテやら、モカやらそれぞれの好みで注文、もちろん卵にも挑戦
絶妙のゆで加減の半熟卵は、上端を切ってスプーンで掬うと、黄金色の黄身の濃厚な味が口一杯にひろがる、納得の味
無駄を省いたメニューと、行き届いたサービス、おしゃれな雰囲気の店だ

夜はフレンチ・レストランとなる
壁一面、天井までワインやシェリーが並んでいる
夜の予約を入れようとしても、電話が通じないほどの人気だそうだ
トイレを借りる
カウンター奥の階段を下りる
木の手すりと階段は飴色に変色し、ステップの真ん中は、歳月を物語るように磨り減っている
トイレのドアを開けると、パウダールーム
黒人女性が早速バスケットを差し出す
1$払ってやっとトイレに到着
長谷川氏によると、ここのトイレ係は一日250$のチップ収入があるそうだ
彼女は化粧室の鏡の前でバケットパン、コーヒー、葡萄を並べて、朝食の最中だったこんな地下のトイレで食事なんて可哀想と思っていたが、この収入の話を聞いて、考えてしまった
一時も職場を離れる気持ちになれないのかもしれない
彼女もこの世界一の都会で、逞しく生き抜いている                         
レジで清算すると、食べ切れなかったパンを紙袋に入れてくれた
合理的ではあるが、ちょっとアメリカ的ではない
「?」と思い袋をのぞくと、大幅に新しいパンをサービスしてくれている
重いほどの量だ
「何故?」と長谷川氏に問うと、入り口で支配人の彼女をハグした瞬間に20$札を小さく畳んだチップを、手の中に滑り込ませていたのだ            
眼にも留まらぬ早業、鮮やかなお手並み、スマートな所業に、さすがNYっ子真似はできないと感心した
レジでは15%のチップを置く
係りのウェイトレスがすかさず、“ Thank you!”5人でお腹一杯食べて、70$位
空腹を満たし、次の目的地へ
ブルックリン・ブリッジを渡り、対岸のブルックリンへ
ここはベッドタウン

橋のたもとからマンハッタンを臨む
よく眼にするマンハッタンの景観はこの角度からの撮影だ
マンハッタンを臨む (北川 撮影)
村上さんが山田さん、長谷川さんの記念撮影をする
イーストリバーを行く水上タクシーの乗り場もあった
自由の女神のあるリバティ島、入国審査をしたエリス島も見える
水上タクシーの乗り場 (北川 撮影)
ブルックリンをさらに南下してベイブリッジへ
ここにあるベラッツアノ・ブリッジを渡るとスタテン島だ
しかし、島民は無料のフェリー(約25分)でマンハッタンに通勤する

沿道では市民マラソンが行われていた
ゼッケンをつけた老若男女が行く
双子用の乳母車を押しながらの、家族参加型
山のような巨体を揺らしながら、あえいでいる人もいる

もちろん鍛え上げた肉体を誇示するような本格派もいる
カメラを向けるとハーイと陽気だ
私たちが抱く、陽気で健康的で、フレンドリーな、いかにもアメリカの姿があった
(北川 撮影)
車はマンハッタンに戻り、世界経済の中心地ウォール街を抜け、最南端のバッテリーパークを目指す
最初にマンハッタンに植民地の建設を始めたオランダは、ここバッテリーにアムステルダム要塞を築いた
今は兵士像や、平和祈念のモニュメントの立ち並ぶ公園となっている
銃痕の残るレンガ造りの要塞は公園の南端に位置する
観光客目当てか、公園のベンチにはアクセサリーや怪しげな時計やらをスーツケースに広げて売る、アメリカ版寅さんが大勢いた
取り締まりに備えているのだろうか、申し合わせたように、皆スーツケースに商品を入れたままの商売だ
自由の女神に扮し、銅像のように動かないパフォーマンスをする大道芸人もいる
全身真っ青に塗った女神だ
小太りな、かなりのお歳の男性、しかも、2人

台座前にコインが投げられると、突然像が動き出し大仰な挨拶をする
たくましく生き抜こうとする人々が、ここにもいる
次は、深川さん提唱のグランドゼロへ
多くの歩行者が一定方向へ流れている
その先に高いフェンスで囲まれた地下鉄工事現場のような、巨大な赤茶色の穴が口を空けている

周囲のビルの壁には黒い焼け跡が、まだ残る
フェンスにそっと花束を手向ける人、フェンスをガシッと掴んだまま無言で穴を睨む人

それぞれ、思い思いの祈りである
(絵 北川宣子)
私は思わず目を瞑り、合掌していた
みると、深川さんも深く頭をたれ合掌している
「9・11」をTVであれ、目撃した人は、皆同じ気持ちを抱かずにはいられないだろう
ここは、このまま平和を祈る場として残せないものだろうか
早々に立ち去る
車はソーホーを抜け、ペン・ステーション(ペンシルバニア・ステーション)へ
ここで、山田さんは午後発ニューロンドン行き、私たち3人はニューアーク空港行きのチケットを購入、11.55$
ついでにホームや時刻表を確認する
チケットを買う際、いくらお金を入れても自販機が受け取らない
コインオンリーかと試すも同じ
深川さんの会話力がここで生きた
隣でチケットを買っている女性に尋ねる
行き先を押してから、お金を投入しなければいけなかったのだ
アメリカは使ってから払う、クレジット発祥の地だ
なるほどと思った
エンパイヤ・ステート・ビル(山田泰照 撮影)
「どこか見たいところはありますか?」との有難い長谷川さんの提案に飛びつく
「ホテルウォルドルフ・アストリアとプラザは道から見えますよね?」
ミーハーの私の提案に、皆苦笑していたみたいだが、紳士の長谷川さんはこころよく(?)「では回って行きましょう」と言ってくれた
ジョン・ジェイコブ・アスターは1784年にドイツからの移民としてNYの地に立ったパン焼き職人、毛皮交易、シナ貿易、マンハッタンの不動産王と、アメリカン・ドリームを実現させ、アメリカの富豪の先駈けとなる
その子孫の屋敷が後のウォルドルフホテル、アストリアホテルとなる
(元は隣り合わせの兄弟の広大な屋敷だったが、時代が変わり、持ち主が次第に不仲となって行った)
仲の悪い従兄弟だったが、ホテル経営を任せる信用できる人物が同一人という皮肉な有様で、結果、任された彼はいつのまにか二つのホテルをジョイント経営し、今の形になった
巨大なホテル、これが個人の屋敷だったなんて、スケールが大き過ぎて唖然

プラザ・ホテルはフィッツジェラルドの小説の舞台
映画のロケにもよく使われる
古色蒼然たる堂々たる構え
しかし改装中らしく、足場が組んである箇所もあった
プラザ・ホテル (渡辺 写真提供)
ちなみに長谷川さんの情報によると、只今NY一のホテルといえば、フォーシーズンだそうだ
プラザ2ブロック東、マディソン・アベニュー57丁目にある
シングルで595〜815$
私には縁の無い世界だ
五番街を北上して、車窓からMOMA(The Museum of Modern Art)ニューヨ−ク近代美術館を見る
2002年3月より増改築のためクイーンズに移転していた
この新生MOMAの建築デザインは日本人、谷口吉生氏による
今回は中を見学する時間がない
残念だ
アンディ・ウォーホール、リキテンシュタインなどはここに展示されている
5番街より見た改装前のMOMA (渡辺 写真提供)
さらに北上、メトロポリタン美術館到着正午頃
ここで、長谷川さん、山田さんと別れる
本当に懇切丁寧に案内していただいた
なんとお礼を言えばよいのか、言葉も無い
メトロポリタン美術館 (江田氏 写真提供)
メトロポリタン美術館は、コレクション数200万点以上、4分の1が展示され、残る4分3は収蔵庫で眠っている
1日平均1万人以上が訪れる (年間540万人が訪れる)
早速私も15$払ってお目当てのフェルメールを探しに2Fへ
彼は寡作で、35点あまりしか作品が残っていない
そのうちの5点がここにある
村上さん推薦のレンブラント、人物の写真撮影の際、彼の光の取り込み方が多いに参考になるという
深川さん思い入れのゴーギャン、サマセット・モームの『月と6ペンス』を愛読していたとのこと
懐かしい 私もモームの短編やアシェンデン物に夢中になった世代だ
ゴッホ、マネ、モネ、セザンヌ、ロートレック、ドガ・・・
(アメリカ人はドガが大好きのようだ。ギフトショップにはドガの画集が一番種類も多く、部数も大量に用意されていた)
画集で御馴染みの画家たちが、一部屋もしくは二部屋ずつ展示してある
一枚二枚の世界ではない
これではいくら時間があっても鑑賞しきれない
予備知識は持っていたものの、あまりの規模に接して圧倒されるばかり
ここはもう一度ゆっくり訪問しなくてはいけない
とりあえず、ぐるりと一回りして再訪のための知識だけ詰め込む
外に出た
美術館玄関前の階段は、劇場の座席並みに座り込む人で満杯だ
5番街では、エイズ撲滅キヤンペーンの、パレードが繰り広げられている
高校生、ダンス教室、各国の親睦団体といった様々なグループ毎に、ブラスバンド、ダンス、バトントワリングとパレードを楽しんでいる
(北川 撮影) (深川弘行 撮影)
隊列の整ったもの、少人数のもの、技術の未熟なもの、プロ顔負けのグループもいる
しかし、参加する者も、観客も共に、心から楽しんでいる
これもアメリカの一面だ
最後は黒人の騎馬警官隊
トロットで駆け込み、急停止といったパフォーマンスを3隊が披露
大拍手のうちにパレードは終了

馬たちの落し物を片付ける車が最後尾にいて、清掃する

5番街は何事もなかったかのように、元通りになった

ダウンタウンは道路がゴミだらけだった
特にチャイナタウンはひどかった
通りによってがらりと趣が違う

セントラルパーク沿いには、飲み物やホットドッグの屋台がずらりと並ぶ
ちょっとだけ公園内にも足を踏み入れた
村上さんが早速、ホシムクドリとイエスズメを教えてくれる
公園内では結婚式があるらしく、ウエディング姿のカップルも森を歩いていた
セントラル・パークの花嫁(深川弘行 撮影)
雨がパラついてきた
傘を買おうと通りを一本東に移動、マディソン・アベニューを行く
しかしこの通りは、所謂高級ブランドショップばかり
雨宿りと休憩を兼ね、69丁目角にある伊藤園に立ち寄り、ペットボトルの日本茶で喉を潤す
日本ブームは耳にしていたが、客は一見リッチなアメリカ人ばかり
量り売りの高級品を試飲させながら、客の好みに合ったお茶をブレンドして売っているようだった
店の一階は高級な御茶屋、二階は和風レストランだ
メニューを見ると本格的な日本料理で、結構な値段である
ここで市バスに乗るため小銭に両替してもらう
市バスは2$ しかし札が使えるバスは少ない
1$以外のコインで支払わなくてはいけない
あらかじめメトロカード(2$、10$、20$、乗り放題)をペンステーションで購入しておけばよかった
バスの通るレキシントン・アベニューはパーク・アベニュー(4番街)を越して、セントラルパークから4本目の南北道路だ(3番街との間になる)
69丁目で25セント硬貨を8枚投入してバスに乗り、トランスファーチケットを貰う
これで2時間以内なら、もう一度バスに乗れる
雨も上がったようだ57丁目あたりでバスを降りる
レキシントン通りはかっては庶民のアパート街だった
今も庶民的なお店が多い
ブラブラと店を覗きながら歩いてみる
観光客は少ない
家族連れが生活用品を求める店といった構えばかり
お昼は「NYの寿司」が食べたいとの村上さんの提案に、
長谷川さんが「レキシントン街のミッドタウンあたりなら味も価格も安心でしょう」とアドバイスを受けていたので、ここら辺りで寿司屋を物色
アジア人らしい従業員に、この店ならと入ったものの、どうも全員韓国系らしく、日本語は通じなかった
村上さん、深川さんは握り寿司を、私はドラゴンロール(マグロとアボガドの裏巻き寿司、アメリカ産まれの寿司)を注文する
久しぶりの日本食(?)
味も値段も満足
60丁目には庶民のためのブルーミングデパート
この辺りから、52丁目あたりで、マリリン・モンローとジャック・レモンの『七年目の浮気』が撮影された
白いスカート姿のモンローが、地下鉄の送風口で涼むという1シーンは誰の記憶にも残っているだろう
54丁目のシティーコープ・センターを通り過ぎ、ウォルドルフ・アストリアホテルに行き着く
そこを右折、セント・バーソロミュー教会を右手に見ながら、51丁目を西に進む
セント・パトリック教会が見えてきた
全米最大のカトリック教会だ
白い大理石のゴシック様式の美しく、荘厳な建物だ
辺りの近代的な高層ビル群との対比も面白い
セント・パトリック教会 (渡辺 写真提供)
高級デパート、サクス・フィフス・アベニューはこの教会の一本南の通りになる
そして向かいはロック・フェラー・センターだ
ここでトイレ休憩
このセンターはマンモス・コンプレックス(大複合体)で、GEビルを中心に、例えばNBCテレビのスタジオも有り、AP通信も入っている
もちろんショップも充実、紀伊国屋書店もここに有る
夕刻も迫る
結構歩いた、疲れた
誰とも無く「もう帰ろうか?」
トランスファーを見ると2時間を超過している
しまった!でもまあいいか
いい機会だし、ここからタクシー(イエロー・キャブ)を拾ってペン・ステーションまで行ってみよう!
通りでタクシーを無事キャッチ、49丁目から33丁目まで行ってもらう

Penn.Stationから東方向を見る (山田泰照 撮影)
ペン・ステーションからはエア・トレインで2駅
ホテルの送迎バスをP4で待つ
ホテルに帰ってロビーで、飲み物を摂ってしばし歓談
今日は2食 時間がずれていたのでこれで十分
念のため朝のパンを欲しい人だけ持って帰る(大半は私がもらったが、食べずにお土産にした)
明朝7時30分にロビー集合を約束して部屋に引き上げる
結構NY(マンハッタン)は歩ける街だ
ただし歩く場所の特定には細心の注意を払ったほうがいい
予備知識は有れば有るほど安全だろう
セントラル・パーク全景  (渡辺 写真提供)
NY(マンハッタン)は車で通り過ぎればほんの2〜3時間もあれば一回りできる
しかし通り一本隔てると、ガラッと様相が異なってくる
歩いている人の肌の色、着ている服装、立ち並ぶ店の構え、言語
まるで違う国に迷い込んだようだ
日本ではここまであからさまな差異はない

人種差別は無いという建前ではあるが、人種区別は歴然と存在する
一部の成功者のみが、その壁を乗り越えて生きていくのかもしれない
そう見えるだけで、本当は人種の壁は乗り越えられないのかもしれない
キング牧師たちの自由民権運動を見聞きし、ケネディの演説を聴いてきた世代としては、もっと明るい未来を期待していた
9.11以来、アメリカは大きく右よりに傾いている
日本もそれに付随して、最近はきな臭い
アメリカはどこに向かおうとしているのだろう
戦後、まるで兄を慕うように、アメリカ合州国の背を追ってきた日本はどうなるのだろう
アメリカの掲げる自由と民主の思想にあこがれ続けた私は、なんと楽天的だったのだろう
宗教や肌の色が違うだけで、憎しみ合い、傷付け合う
人間とはどうしようもない存在だ
鳥たちにも生存競争はある
捕食するもの、されるものもいる
しかし、それは生きるがためのもの、子孫を残さんがためのもの
憎しみや利害での殺し合いはしない
進化の頂点にいると自負している人間とは、なんと尊大だろう
今回の旅は、自然は美しいが物質的には貧しいコスタリカと、物質文明の頂点に位置するアメリカ、NYという対象的な2箇所を訪問した
価値観の軸をどこに置くかによって、「幸福とは何か」「豊かさとは何か」の答えが違ってくる
NY最後の夜は、一人、窓から空港の灯りを眺めつつ、こんなとりとめのないことを考えながら過ぎていった
こうして10日間の旅は終わった

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