3/2//2009 「無い」から始める日本画講座
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日本画講座目次
序
■ 4月より始まる倉敷市立美術館での日本画講座をお引き受けすることにしました。9月までの土曜日、1回約4時間、全20回の講座です。講座ではヌードクロッキーも1日あるとの事ですから、純然たる日本画講座として使えるのは19回となります。
私自身、「日本画」とは解らぬものでした。これまで「日本画とは、はたしてどんな絵画をいうのか?」という問いをいつも携えながら描いて来たのです。未だに何かをお話する時、極力「日本画」という言葉を使わない方法を考えたりもします。そんな中、様々な出会いを経て、この言葉に与える私なりの価値観のあり方、大切にしたい事などがいくらか積み上がって来ました。いただいたこの機会をそれらを客観的に眺め、次に繋ぐステップに出来たらと思います。
今回からおりにふれ、《「無い」から始める日本画講座》として、講座内容をまとめ、掲載したいと思います。未熟な点、至らない事も多々あると思われます。もしなにかお気づきの点、訂正など、お教えいただける事がありましたらご連絡いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
序《「無い」から始める日本画講座》
過激に「もともと日本画なんて無い」という言葉も聞くようになりました。もしそうならば、対になる洋画はどうなるのでしょうか?そんなことも気になります。一方、指し示すものは無いと言われながらも「日本画」という言葉は未だ存在しています。
この際、「無い」からはじめてもよいのではないかと思います。
新たに、この言葉に魅力的な意味を与えられたらと思うのです。
大きく東洋画と呼ぶとき、その中に含まれる日本画は、古代中国、アジアの長い歴史と文化の中から生まれて来ました。使用する絵画材料自体がシルクロードを経て伝わって来たものである以上、材料の面から見れば西洋と東洋、もともと大きな違いは無かったのです。長い年月を経て、材料の選択、使い方は、技法、道具と共に、それぞれの地域に応じた発展を遂げました。この国では、特に豊かな水の存在、恵まれた自然が大きな意味を持ったのです。恵まれた自然は、花鳥画というテーマも生みました。
材料、道具の成り立ち、使い方、過去の表現を手がかりに、実際に描く作業を通じて「日本画」という言葉に何らかの意味を与え、この国の誇れる「伝統」と呼びたい「何か」に触れられたらと思います。
自然との濃密な関係によって生まれた存在であるからこそ、環境との共生が言われる今日、そこには新たな提案となる価値観の再発見があるように思うのです。
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私自身、「日本画」とは解らぬものでした。これまで「日本画とは、はたしてどんな絵画をいうのか?」という問いをいつも携えながら描いて来たのです。未だに何かをお話する時、極力「日本画」という言葉を使わない方法を考えたりもします。そんな中、様々な出会いを経て、この言葉に与える私なりの価値観のあり方、大切にしたい事などがいくらか積み上がって来ました。いただいたこの機会をそれらを客観的に眺め、次に繋ぐステップに出来たらと思います。
今回からおりにふれ、《「無い」から始める日本画講座》として、講座内容をまとめ、掲載したいと思います。未熟な点、至らない事も多々あると思われます。もしなにかお気づきの点、訂正など、お教えいただける事がありましたらご連絡いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
序《「無い」から始める日本画講座》
過激に「もともと日本画なんて無い」という言葉も聞くようになりました。もしそうならば、対になる洋画はどうなるのでしょうか?そんなことも気になります。一方、指し示すものは無いと言われながらも「日本画」という言葉は未だ存在しています。
この際、「無い」からはじめてもよいのではないかと思います。
新たに、この言葉に魅力的な意味を与えられたらと思うのです。
大きく東洋画と呼ぶとき、その中に含まれる日本画は、古代中国、アジアの長い歴史と文化の中から生まれて来ました。使用する絵画材料自体がシルクロードを経て伝わって来たものである以上、材料の面から見れば西洋と東洋、もともと大きな違いは無かったのです。長い年月を経て、材料の選択、使い方は、技法、道具と共に、それぞれの地域に応じた発展を遂げました。この国では、特に豊かな水の存在、恵まれた自然が大きな意味を持ったのです。恵まれた自然は、花鳥画というテーマも生みました。
材料、道具の成り立ち、使い方、過去の表現を手がかりに、実際に描く作業を通じて「日本画」という言葉に何らかの意味を与え、この国の誇れる「伝統」と呼びたい「何か」に触れられたらと思います。
自然との濃密な関係によって生まれた存在であるからこそ、環境との共生が言われる今日、そこには新たな提案となる価値観の再発見があるように思うのです。