気体による硫化 紅白梅図屏風追試実験
<ワインの風味の中にイオウ、温泉のような風味を感じる。はたしてその原因は?>そんな記述から、ワイン醸造用の樽が硫黄の燃焼による燻蒸を行っている情報に偶然出会いました。新たに仕込むワインの腐敗防止、滅菌処理なのだそうです。かなり古くから行われていた手法で、15世紀には文章としての記述も残っているのだとか。 このネット上の記事から「硫黄燻蒸」というキーワードを得る事が出来ました。そして、この言葉を使って検索を重ねることにより、ドライフルーツ、日本では「干し柿」作りにこの手法が用いられるという記事にも出会ったのです。また記事には具体的な実施手法も公開されていました。 前回の実験のおりは、気体を使う危険性、サイズの問題から、硫黄の粉を撒く手法を選択しましたが、古くから言われてきた「燻す・気体」による手法の実験を小さなピースではありますが、試してみることにしました。上画像は、実験準備の様子です。ようはポリ袋で密閉した空間を作り、その中で硫黄を燃焼させることで二酸化硫黄を生成させ、その結果による硫化を使った手法です。なお、この気体を吸い込むと危険です。もし実験を行う場合は、安全に十分注意をし、自己責任で行ってくださいますようくれぐれもお願いします。
皿など不燃の台の上に、着火用の新聞紙をもんで置き、空気が周りに十分行き渡るようにしたあと、硫黄の粉をその上に広げます。(資料画像1の新聞は大きすぎました。紙の部分で火が大きく燃え上がって出てしまうと、肝心の絵を焦がしたり、ポリ袋を溶かしたりします^^;もう少し大きな空間を用意するべきですね。この新聞紙は、硫黄に着火さえすれば良いので、硫黄の敷物?程度(大きさ)と考えればOKです。) 硫黄への着火(ぐつぐつと溶解しながら、青い炎が出ます)を確認したら、火が他の部分に延焼しないことを確認して、密閉用のポリ袋を全体にかぶせ、内部の空気が外に漏れ出さないように口の部分など重石などをし、密閉します。 気体で空間が満たされると同時に、反応は進み、ポリ袋を通して反応の様子を見ることが出来ます。15分程度でもシャープなエッジが現れて金色のような反応色が現れました。燃焼後もこの気体の中にどれだけ放置するか(時間と燃焼量)で、表面に定着する絶対的な硫黄の量が決まるようです。付着した量が多ければ、外に出した後も反応は進み、次第に色が濃くなることを確認しています。
反応後の結果物を室内に持ち込んだ様子です。(もちろん反応後は、ポリ袋内の気体を速やかに排気し、外気にしばらく晒しました。生成された気体の吸引による健康被害も考えられます、もし実験を行う場合は、実施場所、換気、近隣への影響が出ないような配慮を必ず行ってください。) 奥の壁に立てかけているのは、早く取り出し、反応時間が短かったピースです。次に短い反応時間のものは中央に吊り下げられたもの、一番長時間反応させたのは、画鋲でとめられたピースです。今回の実験では最長で1時間程度でしたが、均一な濃い色、グレーも作ることが出来ました。また反応がより進んだ部分では、すでに知っている硫化銀の黒色になりました。 これらの結果から、まさしく昔から言われてきた「燻す」という手法によっても、紅白梅図屏風を入れられる広さのある部屋、倉、洞窟などを確保し、密閉できれば、十分にあの硫化銀の黒と銀色の流水表現が可能なことが確認できました。 しかし、今回の実験でまたすこし考えさせられる部分も生まれたことも事実なのです。色はもっといろいろ作ることも可能だということ。ただし光琳がそれを望んだかどうかは、わからないというのが正直なところですが・・・・。
ドーサを用いた線描き・マスキングの様子です。 東京理科大の中井先生による科学調査によって、紅白梅図屏風の流水部分には硫化銀が確認され、また銀箔を使っていたことも確認されました。硫化による手法による表現であろうということは、これではっきりしたのだと思われますが、はたして300年前、光琳が意図した色、当初の姿については、まだまだいろいろと考えられそうだというのがこうして関わってみての私の正直な感想です。以前から言っているように、私が全て正しいなんて断言する気は全くありません。なんといっても300年の時間が間にあるのですから。 ただひとつ言えることは、紅白梅図屏風を制作する上で、「運筆」、いかに筆を使うという価値観を理解できているかということが重要であるということ。絵描きとして私が再現に関わった意味はそこにあったと思っています。「水の時間」、日本の美意識、そのことを意識させてくれ、また学ばせてもらった素晴らしい機会をいただいたと思っているのです。
グレー、メタリックなブラウン、ワインレッドのような色。表面に付着した硫黄が多いと、反応が進むにつれて濃いブラウンになり、紫が現れ、そして群青のようなブルーが現れました(中央、立ち上る煙が直接あたっていた部分には群青色が見られます)。 気体を使うことよって可能になった反応する硫黄の微妙な量のコントロール。ただし、描かれているのが水流であるということを考えると、光琳が望んだのが茶色、赤系統の水流というのは違うような気がします。黒、グレーといった無彩色、もしくはブルー。
場合によっては、反応のごく弱い段階、純金とは異なった金色に近い色を求めたとも考えられます。こうした色の組み合わせも着物などでは見られように思うのです。 参考画像で見ていただくと、これもあり!と思えてきますが、たらし込みによる紅白梅の存在感に対してのこの流水は少々、力が足りない・・・・そんな気もします。またこの程度の残留硫黄で、300年後、果たして現在のような水流になるのかどうか? 確かなことは、銀の質感まで含めて黒く変えるのに必要な量の硫黄が表面に付着しているということ。私は、硫化銀の黒と銀色の組み合わせの水流を光琳は選んだのだと考えたいと思っています。そしてその後、300年の時間経過、それに伴う化学反応、もしくはなんらかの不可抗力がきっかけとなって現在のような状態に変化したと思うのです。
以前も試みた、一度反応させた後、再度の硫黄溶液による銀箔面の硫化。 2年前、本物を間近に見せていただいたおり感じた表面の記憶再現。このサイト記事「黒い水流の謎」で検証した硫黄粉で黒く硫化銀を安定させてからの反応なのか、それとも今回試みた結果色、別の色だったものが同時進行的に300年の時間経過によっての反応なのか?。
反応が進む様子です 反応には、少なくともその色を生み出す反応のために十分な量の硫黄が表面に存在している必要があります。黒く、墨で描いたかのように見えた反応に必要な量の硫黄が当初から表面に付着していたのかどうか?。また、現在のような状態への反応の進行はどのように行われたのか?謎はまだまだあるのです。
たっぷりの水分を与えることで、反応時間が伸びると、群青のような色が部分的に現れてきました。 同時に茶の部分が黒いマットな面となり落ち着いてきたように思われます。
銀箔と金箔が重なった部分に濃い赤が現れました。 銀箔の硫化が進み、紙の繊維が感じられるマットな黒。 筆で描いた流水の部分に群青色とも見える反応も現れました。 本物をもう一度見て確認してみたい・・・・・
世界結晶年(IYCr2014)記念講演会文化財を甦らせる結晶学 ―紅白梅図屏風の300年前の姿を復元する期日 2014年2月16日(日)会場 MOA美術館 能楽堂主催 世界結晶年日本委員会 共催 日本結晶学会、日本分析学会 後援 MOA美術館私も参加させていただき、お話をすることになっています。また、光栄なことに私が描いた描法再現屏風もこの日一日だけですが、飾っていただけることになりました。催しの詳しい告知は、後日ご案内するとして、興味を持っていただけましたら幸いです。
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尾形光琳作 国宝「紅白梅図屏風」に見られる「黒い流水」の秘密。銀箔の硫化による型染めのようなエッジ表現、色。2年前の取り組みでした。あのおりとは違ったやり方、「燻す」手法に今回は取り組んでみました。