森山知己ロゴ
1/26//2014  材料技法

気体による硫化 実験その2

■ 硫黄を燃焼させての銀の硫化実験を昨年暮れに試みました。実験は成功し、それなりの反応結果を得る事が出来ました。今回は実験その後についてを紹介します。

※気体による硫化 紅白梅図屏風追試実験 12/15//2013  材料技法
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2013/121501/index.html

上記の実験のおり出来なかったより深い反応の実現。すでに硫黄粉によって可能であることを知っている銀と黒のコントラスト。あたかも墨で塗ったのではないかと思われるほどの硫化銀の黒色を求めて、より反応を進める実験を行ってみました。
 
bin012601.jpg

 

上記は実験結果の一部です。思う以上の発色のバリエーション、実験サンプルが出来ました。

 
bin012602.jpg

左側はより長時間、気体中に置くことによって反応を進めたピースです。多くの部分は、ほんのすこし茶を感じる黒、そしてより深い黒色が部分的にあるといった状態になっています。本来銀色であってほしい部分にも反応が現れてくすんだ状態となっています。

右側は上記で紹介している一番右のサンプルのその後の状態です。美しい色が出たことを喜んでその定着を試みようとドーサ液を上から塗った所、反応はより進行し、数日過ぎるうちにこのような状態になりました。
 

 
bin012603.jpg

実験用のピースを取り付けている様子です。
一番下、白いベースの上の皿で硫黄を燃やします。

硫黄の燃焼によって生まれるのは、二酸化硫黄だそうです。
二酸化硫黄は空気よりも重く、基本的には低層に貯まるように思われます。

深い反応状態を求めたいときには、底面が広い実験器具を作り、寝かせた状態で反応させるほうが効率が良いように思われます。(白い底面に実験ピースを寝かせて置いた実験では、予想通りの反応結果を得ることが出来ました)
 
※干し柿作り他、農業関連機器として硫黄燻蒸器が販売されているようです。微細な硫黄を空気中に飛ばすことが出来るのだとか、また干し柿作りのおり、硫黄燻蒸がより効果的に行われるためには、柿の表面の湿りなど、水分も関係するようです。おそらくですが、二酸化硫黄>亜硫酸ガスに変わるための水素をどこから得るかにかかっているのでしょう。この硫黄を燃やして銀を硫化する実験結果も、本来ならば実施時期、湿度、温度など深く関係するのだと思われます。

 
bin012604.jpg

燃焼中の様子です。燃焼によって出る気体を吸い込むと危険です。もしこの記事ほか、このサイトの情報を参考に実験を試みようとする場合は、安全に留意し実施場所を選定、くれぐれも人の迷惑にならないように注意して行うようにしてください。もちろん実施者自身の安全確保も当然です。

 
bin012601.gif

もし今日、屏風のような広い面積、大きさの作品でこの技法を試みようとするなら、左画像のような密閉可能な箱を作るのがよいのかも分かりません。六曲の屏風などではより広い容積が求められます。硫黄が付着しても良い適度な大きさの倉庫、穴ぐらなど・・・、また燻蒸した気体が外に出ても問題が無い場所・・・が使用可能であればそれにこしたことはありませんが、住宅の密集する都市部ではとても難しい条件になりそうです。

 

今回の実験で確認できたこと。

1:硫黄を燃焼させてのいわゆる「燻す」手法でも銀箔面の均等な硫化は、たとえ屏風のように面積が大きくなろうとも十分に可能と考えられる。

2:硫黄の燃焼によって出来る二酸化硫黄は、銀箔表面に付着し、その後反応すると考えられる。墨で塗ったと思われるほどの反応が可能な付着を行うためには、かなりの量の燃焼を必要とする。(実験では複数回にわたって燃焼を行うことによって、付着する量を増やし反応を進めた。)ドーサ液によりマスキングされた部分にも同量の硫黄は付着していることとなり、これが300年を経た現状の茶色になっている部分の反応のもととなる硫黄の存在理由と考えることも出来る。

3:金箔面と銀箔面の境、金箔が重なった部分に現れる赤い色。実験結果から、金箔は硫黄に反応しにくいことから、銀箔と金箔、両方最初から貼り込んだ状態でドーサ液による流水を描写して硫黄で反応させる手順もあるのではないかと考えたが、ドーサ液によるマスキングが金箔面に乗った状態で硫化させると、金箔面上に不自然な跡が残ることから、銀箔をまず貼り、防染剤によるマスキング(流水の描画)、硫黄による反応、金箔を形にそって貼るという手順で描いたと考えらる。また赤い色は、その後の反応によって現れたと考えられる。


銀と黒のコントラスト。300年の経過があるとはいえ、少なくとも現状の黒くあたかも墨で描いたのではないかと思わせるほどの質感の違いを感じさせる反応を可能とするためには、銀箔表面上にその反応に必要な硫黄の存在があった、もしくはあることが求められます。反応の浅い、金色とも思われる反応状態、当初の硫黄の量では、とても現状のような質感の違いは生み出せそうにありません。またその次の茶であるとか、ワインレッド、紫など、赤系統の反応色を光琳が水の流れに求めたとも思えません。となると、やはりブルー系か黒ではないか?、しかし、ブルーは不安定です。安定な反応色をということになれば「黒」という選択が一番であり、また同時にこの国の絵画のあり方、絵描きとして絵画上の配色のあり方を考えた場合には、あの!紅白梅図屏風では、やはり「黒」が一番順当な色の選択だと確信します。と、すれば「硫黄粉を直接撒くことによる硫化」の妥当性を思うのです。効率よく黒く変化させ、美しい質感の違いを生み出す材料・技法としての選択です。(他に硫黄を間接的に熱して硫黄蒸気を吹き出す装置を使用する方法なども考えられます-噴出する硫黄蒸気を反応させたい箇所に直接吹きつけて使用する)。加えて「水」が何らかの形でその後に関わった、影響を何らかの形でおよぼすことがあったのではないか?。現在、茶色く見える流水の表面状態と、硫黄粉や気体による硫化をより進行させた状態との違いなどからそんなことも考えます。


まるで墨を塗ったのではないかと思われるほどの黒の実現、銀色とのコントラスト。吉備国際大学の馬場先生、棚橋さんによる硫黄粉による実験ピースを拝見したおりのワクワク感、もしかしたら光琳はこのコントラスト、質感の違いを求めたのではないか!。そう感じたことからスタートした今回の試み。
中井先生の調査によって明らかになった「金箔」の使用、流水部が「銀箔」であること、そして「硫黄」の存在、黒く見える部分は「硫化銀の黒」であったこと。
尾形光琳が300年前に試みた紅白梅図屏風、物質史から迫る流水の描法、材料の確認。

 
尾形光琳作 国宝 紅白梅図屏風 絵画としての素晴らしさをあらためて思います。

私が好きになり、憧れたのは、金地の上にたらし込みで描かれた紅白の梅の木、真ん中に黒く見える水流がある現在の紅白梅図屏風です。300年前の姿がどのようであったか、また300年の時の経過の中で何があったかなどはまったく関係がありません。今見ることが出来る姿が素晴らしいと感じたのです。時の経過さえも魅力の一部としたかけがえの無い存在なのです。

幸運にもNHKの番組企画の中で実際に描いて再現を行う役割をいただき検証に参加させてもらいました。通常であれば私などでは決してありえない本物を間近に拝見可能なチャンスをいただき、なおかつ憧れた作品を大手を振って真似ることが出来るのです。もちろん「ヘタ!」「間違っている!」と非難されることも覚悟しました。それでも「謎解きに参加できるチャンス」・「好奇心」の方が勝ったのです。
これまでも琳派と呼ばれるような存在を好きでしたが、多くの方々がそうであるようにほとんどはその意匠性、デザインと呼ばれるような要素を中心にとらえていたように思います。一連の作業、実験を通じてそれ以外の要素の大切さ、私なりに思う「普遍性」・「水の時間」の存在を確認することが出来ました。この国の価値観のひとつのあり方をより深く学ばせてもらうかけがいのない機会をいただいたと感謝しています。