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12/13//2008  レポート

花鳥画を考える・講演会・シンポジウム 他

■ 岡山県井原市にある華鴒大塚美術館で、”花鳥画を考える”という講演会・シンポジウムが12月11日に開かれました。この集まりは、全国美術館会議・小規模館研究部会研修会もかねての開催で、私は、基調講演者として呼んでいただいたのです。
 一般の方々にも公開の形で開かれ、定員いっぱいの100人を超える方々が集まってくださいました。感謝するばかりです。
 いただいた「現代日本画家が挑む花鳥画」という演題も、研修会にお集りの美術館関係の方々がそれぞれ専門家の方々ばかりということで、半端なこともお話できず、話の内容を練るにあたって、少々悩むこととなりました。
 結局、どんな難しい事を考えても、自分なりに実感のあることしか話せないという、まったく当たり前の結論にいたり、私が、実際に描く過程で、ドキドキしたり、出会ってうれしかった発見とともに現在の私の制作があるという話をさせていただきました。
 題して、「そ」の話。はたして、会場にお集りの皆さんに届く言葉になっていれば幸いです。
 
私の演題は、「現代日本画家が挑む花鳥画」でした。「そ」という言葉をキーワードにお話させていただきました。
>> 私の演題は、「現代日本画家が挑む花鳥画」でした。「そ」という言葉をキーワードにお話させていただきました。 (1.99KB)

京都の細見美術館 学芸員の福井麻純さんは「琳派と花鳥画」と題して発表をされました。
 花鳥画の歴史上のながれを概観したあと、琳派の代表的な作家を比較しての紹介で、花鳥とは一口に言うけれど、同一画面で草木のみ描いた京都での流れ、一方、江戸琳派になり、いわゆる花鳥画という同一画面に花と鳥が描かれるようになったなど、興味深い話でした。また、琳派は一般的に装飾と結びつけて考えたり、話される事が多いのですが、日本人の「装飾」という概念自体に対する問題意識についてもはなしてくださいました。
 

 
画像は意味がありません。落葉の終わったコナラの木、根元です。
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次の発表は、広島県立美術館 主任学芸員の永井明生さんでした。演題は”「花鳥画」今昔ー金島桂華と猪原大華の作品を通して”です。
 まずはじめに、中国における花鳥画、そして日本における花鳥画の流れと、より概観を広げてくださり、そのあと、京都画壇に注目してのお話となりました。そのあとは、今回、花鴒大塚美術館で開催の花鳥画展に多く出品されている、金島桂華、猪原大華それぞれの作品、作風紹介となり、催されている会場自体が、猪原大華作品の展示となっていたこともあって、より実感のともなったお話でした。この二人の作風を対比させながら、現代の花鳥画表現の方向性に触れられました。

 
葉を落としたコナラの樹 画像は話とは関係ありません。
>> 葉を落としたコナラの樹 画像は話とは関係ありません。 (51.14KB)

最後の発表者は、神戸市立小磯記念美術館 学芸員の廣田生馬さんでした。演題は、「洋画家・小磯良平が描いた薬用植物画」です。
洋画家、小磯良平は、昭和に絵を勉強したものなら知らぬものはいないビッグネームです。日本画、洋画といったくくりにとらわれず、描かれた絵の力だけで十分にその実力を多くの方が認めるところでしょう。私自身も大原美術館で子供の時に見た時から気になる作家でした。
 鉛筆に透明水彩絵の具による着彩。植物画という言葉が意味する学術的な要素も加味しながら、一流の画家が描いたそれらには十分な絵画性が認められると思います。それも日本人ならではの何かしらの価値観とともに。
 10数年にわたって行われた制作にまつわる逸話も含めてお話くださいましたが、一般の方々にも大変わかりやすい具体的なお話しで、小磯良平と言う画家への興味がより深まったように思いました。
 少々、残念だったのは、会の時間がおしたこともあって、お話が駆け足となったことでした。

 
笹 画像は、文章と関係ありません。
>> 笹 画像は、文章と関係ありません。 (38.48KB)

それぞれの発表の後は、会場も含めた質疑応答。進行の笠岡市立竹喬美術館館長、上薗四郎さんのリードですすめられました。
 東京と京都、装飾性とリアリズム、西洋美術とこの国。対比関係、比較を試みながら時に宗教観なども問題として話となりました。はたして参加された皆様はいかがだったことか。

午後一番に始まった会も、閉会の時にはすでに暗く、閉会のあいさつをしてくださった小規模館研究部会長・石川県立七尾美術館館長の嶋崎 丞さんがはからずもおっしゃった通り、長時間にわたり席をたつこともなく最後までお付き合いくださった本当に熱心な美術ファンの方々、存在を感じるばかりでした。

閉館時間の美術館から場所を移して、小規模館研究部会の会員方々との歓談。いろいろなお話がお聞き出来、何よりでした。なかでも、このようなご時世、厳しさの話ばかりになりますが、ある方がおっしゃった「結局、文化しか残らないのに」という言葉が印象に残りました。シンプルな言葉ではありますが、小さな家庭といった単位でも実はそうなのかも?と思う事もあり、なかなか含蓄のある言葉と今も思っているところです。


 11月に東京の佐藤美術館で「材料と技法」をテーマとしたお話をしたり、実技をお見せしたり。その前、10月には笠岡私立竹喬美術館で「大人のためのデッサン講座」と題した講座に呼んでいただいきました。笠岡では昨年も「波の描法」をテーマに日本画の画材、描き方に触れていただきました。そういえば、昨年は倉敷市立美術館で開いていただいた展覧会関連事業で出身中学で絵の指導などもさせていただきました。そして年末には徳島県立近代美術館の「日本画ー和紙の魅力を探る」展でのワークショップ開催。
 ここのところこうした活動も多くなってきました。思えば、東京を離れるとき、現代美術資料センターの笹木さんが開いてくれた集まり、沼袋のお寺での開催でしたが、たくさんの新聞社美術関係の記者の方々、美術館学芸員の方々がお集まりくださいました。刷毛の話などを手がかりに伝統と呼べるような「何か」を探しているという話をさせていただきましたが、まだまだ未熟であったと恥ずかしく思い出されます。その後は、徳島県立近代美術館で2005年に行った「日本画の季節-墨と胡粉で雪を描いてみる」鑑賞入門ワークショップを行い、またこうしてホームページを運営する中で少しずつ考えをまとめて来ました。

問題意識を伝える事、共有すること。はたして、今回の「そ」の話が、いくらかでも参加していただいた方々に届く言葉になっていれば幸いです。ちなみに「そ」という言葉を使って説明するというアイデア、ヒントは先日の東京個展で出会った方とのお話の中で見つけました。出会いがいろいろなことを教えてくれる。助けてくれる。ありがたい事と思うばかりです。
感謝。