1日目:5月24日
岡山→関空(成田)→台北→鞍馬山

 

午前6時39分、岡山駅改札口集合、前日の連絡で山田さんの体調不良が伝えられていたのですが、やはり高熱で旅行参加は取り止めとの事でした。一番頼りにしている団長が抜けるとは先が心配だ。昨今の新型インフレエンザ騒動の最中、まことに致し方ないことですが。岡山からは丸山、北村、渡辺、北川、香西、各氏と私の6人となった。

 

新大阪ではかなりの人がマスクをして異様な雰囲気でした。マスクしたからといってそれほど意味がないと思うのだが?マスクをしてないと日本の国民ではないかのようで、私も丸山さんから提供を受けてマスクをする。

関空で神戸の田内ご夫妻と合流し8人で11時20分台北へ向けて出発、新型インフレエンザからは脱出。

 

13時10分、台北、桃園空港へ到着、時差は一時間だがサマータイムと思えば気にはならない。現地ガイドの陳さんの出迎えをうけ、成田からの河崎さんご夫妻、濱さんの3人と合流。全員そろって11人となった。

 

陳さんは温厚そうな飄々とした感じの決して若くない人でした。中型バスで鞍馬山荘へ出発する、運転手は黄さん、太った少し強面な感じの30前後の人でしたが、笑うとそれなりに可愛い顔になります。言葉は通じなくても気心は通じるものです。


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鞍馬山荘まで4時間の行程。この国は右側通行だ。高速道路から見る沿線の景色は民家に多少の違和感を覚えるものの日本とそれほどの違いは無い。電線に止まっているのがオウチュウであったり、黒い翼に白い斑のあるハッカチョウらしい鳥がみられたり、コサギ、アマサギが飛んでいたりする。川はやたら石がゴロゴロとした河原が広がっていて、水量は少なく白濁した細い流れがあるだけで、サギ類が稀に見える程度であった。もちろん人家付近にスズメが普通だ、日本のスズメと変わりはない。



 

山間部にさしかかると次第に標高も高くなり一面に梨畑が広がる農村になってきました。山の斜面まで広がっている。陳さんによると日本の二十世紀、新世紀だそうです。他に桃、ブドウ等、それに椰子の仲間のビンロウ、クジャクサボテンの仲間のドラゴンフルーツ、パパイヤ等の熱帯系の作物が点在して、温帯と亜熱帯の作物が混在する世界のようでした。鳥もツバメ、イワツバメ、ヒメアマツバメ、キジバト、ベニバトも車窓から見られた。

 

1000m当たりからいよいよ山間部。道路は林道として開発されたものだそうだ。2車線あるものの狭い。沿線にはスギ(日本の吉野杉だそうですが)、ヒノキ、台湾産のスギ類等の針葉樹の小規模な植林も見られ、林床には大型のシダ類が繁茂して、野生のジンジャや亜熱低性ツツジのセイシカ、ツツジが花を咲かせている。竹類はバンブーもあるがモウソウダケが普通である。2000m近くまで亜熱帯と温帯が混在する植生がみられる。それにしても全山原生林に覆われているのは圧巻だ。急峻な地形によって伐採を免れたものだろうか。

 

途中休憩しながら鞍馬山荘へ着いたのは夕方であった。2275mの高地はやはり少し寒い。すぐに各々割り当てられたロッジへ荷物を運び、7時半に夕食、中華料理ではあるがさっぱり味で食べやすかった。

時差もあって長い一日でした。

明日の朝食前、5時からウォッチィング開始という事だ。鳥見の旅の宿命か・・・。

 

2日目:5月25日 鞍馬山

 

朝4時半起き上がる、外はまだ暗く窓からはわずかに虫のような、鳥のような判然としない鳴き声が聞こえるだけ。私が出てみるとすでに皆さん早くから見て回っていた様子、いやはや・・・。

2200mの高地ながらツガや松の針葉樹や落葉樹の温帯林に囲まれていて、鳥も多そうな環境なのでかなり期待が大きい。

 

とにかく坂と階段が多い、まだ薄暗い事もあってまずはロケハン。さえずりが聞こえるものの正体はなかなか現れない。梢でちらちらしながら鳴いていたのが喉の白いチャガシラであった。香西さんと丸山さんが現地の女性バードウォチァーに囲まれて言葉は通じなくても図鑑を開いて何やら国際交流?

ミミジロチメドリ、カンムリチメドリ、ヤブドリ、ホシガラス、カケス(日本で見られるカケス)オオアカゲラ、タカサゴウソ、メジロ、キバラシジュウカラ、アリサンヒタキその他馴染みの無いのや日本種に近縁のもの等色々出たらしい、私個人としては歩くのがやっとであまり多くの種を見る事が出来なかった。

7時30分朝食をとった後、又しばらくロッジの敷地内を見て回るものの坂と階段に閉口した。

8時, バスでミカドキジスポットへ移動、餌を播いて餌付けされているらしい。陳さんからどの辺に出るか説明をうけた後しばらく待機していたが出る気配がなく、各々散らばって周辺を見て回った。丸山さんがタカサゴマシコを撮影した。私も見たかったのだがすでにいなくて、そのかわりに近くの林縁でミヤマヒタキが目を楽しませてくれました。ミカドキジを諦めて鞍馬山荘に帰り昼食、早起きと坂道でかなり疲れを覚えたので各々自分のロッジで休息という事になった。


「村上さ〜ん」、大きな声に目を覚ますと、濱さんの声で「皆さんバスに乗って待ってるよ」3時からバスで移動して林道の散策をする予定だったのだ。すっかり気持ちよく眠り込んでいた。

林道は濃い霧が立ち込め、樹間には沢山の白いガクウツギの花がぼんやりと浮かび上がって幽玄の趣きがあった。それはさておいて、我々は鳥が出ないとさっぱり盛り上がらない。ここも又諦めて山荘へ引き返すことになった。

 

揺れるバスに眠気を誘われ、朦朧とした目が白い動く物体を捕えた。「ストップ」「ストップ」思わず大声を出してしまった。側面の林の中をサンケイが走り去ったのだ。一瞬のことであった。様子を探りに行った黄さんが指差す方向を見ると立派な雄のサンケイが道路を横切っていました。少し間を置いて雌も雄に続いたらしい。私は雌を見る事が出来なかった。サンケイはキジの仲間でめったに見られないらしい。

 

小鳥の混群が現れ至近距離でカンムリチメドリ、キバラジュウカラ、タイワンシジュウカラ、ヤマガラなど次々と楽しませて貰えた。チャバラオオルリ、アオバトも見られて、結局この場所で残りの時間を費やす事になってしまった。ミカドキジにはふられたがサンケイは皆で見る事ができました。写真は撮れなくても満足。

 

食事の後、鳥合わせをして昨日台湾に着いて以来32種類を確認できた。

シャワーを浴びて汗を流す、今度こそぐっすり朝まで眠り込んでも大丈夫だ。

 

 

3日目:5月26日 鞍馬山→大雪山→東勢→天冷→埔里

→清境農場→武嶺→合歓山→布洛彎

 

早朝の探鳥、朝食を済ませると8時に次の宿泊地である布洛灣へ出発。大雪山森林遊楽区は雄大な原始の森に覆われて、皆の心に深い感銘を与えてくれました。

道中8時間以上の長い行程となる。私には地名も方角もさっぱり分からないまま、陳さんの淡々とした語りに耳を傾けてうとうとしているうち、気がつくと右手遠くに近代的な高層ビルが立ち並んでいる平野をバスは走っていました。台中市だそうだ。ぼんやり眺めながらまたしばらく走って埔里へ入る。金都餐庁といっても官庁ではなく郷土料理の有名なレストランだそうだ。ここで昼食。

皆さんバスを降りるとすぐに駐車場でうろうろと鳥を探して双眼鏡を出したり撮影したり、微笑ましくも業の深い鳥屋の性ではないか・・・。

とにかく料理は美味しい。

 

埔里を出てしばらく走ると、又山へ入る。険しい山腹を曲がりくねった道路が限りなく続いて、千尋の谷から霧が湧き上がり、峰を覆い、流れて山肌を現す。幽玄の世界に言葉もない。

陳さんによるとこの道は蒋介石が連れて来た兵士2万人と現地人3万人を動員して4年で開通させたものだそうだ。当時の技術ではかなりの難工事だったのだろう、200人以上の犠牲者がでたそうだ。

標高3275mの武嶺で休憩、道路としては東北アジアで最も高い峠ということである。車から降りるとすぐにキンバネホイビイがあらわれた。観光客の蒔く食べ物に餌づいているものらしい。霧で霞んでいるものの至近距離での観察である。

続いてタカサゴマシコが、イワヒバリも現れたらしい。タカサゴマシコの深い天ワインレッドと白い眉班が魅力だ。次々とタカサゴマシコのメス、また別のオスが出て来た。香西さんのカメラを借りて私のCFカードを挿入し撮影などと怠けた事をしてみたが我慢出来なくなり、重い大口径を持ち出してしまった。1.4倍のテレコンを付けっ放しの500mmは人を恐れない小鳥の撮影には迫力があり過ぎる。

陳さんの気負いのない語りと絶景に飽きる事もなく時間が過ぎて、次第に標高が下がって来る。

陳 学而さん、68才、台湾のガイド協会理事長。本職は内科の先生で、独、USA、日本に20年留学してそれらの国の語学に堪能、日本語は私よりうまい。深い見識をお持ちの方である。現在は医師としては時々離島などで診察される程度との事、山登りが好きだといわれる。娘のように若い奥さんと孫のような高校生の娘さんの話になると表情がくずれる。鳥とか植物の知識はそれなりだがこれからのエコツーリストに興味をお持ちであった。

 

今度は渓流沿いに絶壁を見上げながらの道中となる。陳さんお勧めのタロコ(大魯閣)渓谷で、世界遺産に登録する手続きをとっているそうだ。白い巨大な石灰岩がゴロゴロと重なり合っていて圧倒されてしまう。いかんせん、流れる水が少ないのだ。懐の深い山の渓谷のほとばしる激流のイメージとはほど遠く、水も青白く濁って魚も棲んでいそうにない。硫酸銅が含まれているそうだ。山肌も礫地でもろく、いたる所で崩落している。水が吸い込まれて表面を流れないのだろうか。

 

日が暮れかかる頃布立徳洛彎山月村に着いた。休憩を取りながらとはいえ、じつに10時間。立徳布洛灣山月村は壁のようにそそり立った山を背景にロッジが散在する清々しい所だった。高砂族の一部族であるタロコ族の人達で経営されている。高砂族というのは日本の縄文系の人とつながりがあるかもしれない。

 

夜フクロウウォチィングに誘われた。4年に一度ぐらいしか見てないそうだ???


 

 

4日目:5月27日 布洛烏来

 

事件が起きていた。Aさんの耳に大きな虫が入ってかなり痛んだそうだ。夜中に救急車で町まで運ばれて麻酔して取り出したとのこと。大事に至らず幸いでしたが、一人部屋の私は全く気付かなかった。

 

早朝は雨、明るくなった頃にはやみ、ロッジの敷地内をウォッチチィング。日本のクマゼミとミンミンゼミを合わせたようなセミの鳴き声が聞こえるのみ。標高が低いだけに亜熱帯性の植物が多い。

田内さんのご主人はゴシキドリを見たようだ。私だって見たい。

 

朝食を済ませて出発間際に、濱さんがゴシキドリの巣穴が見つかった、と教えてくれた。ままよ、一人置いて行かれる事もなかろう、とロッジ裏の教えられた木へ行ってしばらく待っているとカマキリを喰えて現れた。この際、子育て中の撮影はどうのこうのと言っていられない。数枚シャッターを切って離れた。

今度はベニサンショウクイがロッジのそばの樹に飛んで来た。雨上がりのしたたるような緑を背景に紅色の小鳥が飛び交うのは素晴らしい。ながくは見られなかったが十分に満足できた。

烏来へ向け出発。30分程で河口の町に入り、狭い谷間から広い太平洋岸に出て東へ。険しい石灰岩の山がせり出して断崖となって海へ落ち込んでいる。道路は山裾を縫うように続いてこれ又絶景である。


 

日本では観葉植物であるサトイモの仲間や大型のシダ類、それに野生のジンジャが多い。走っているバスの中からは鳥の姿はあまり見られない。

 

南澳への途中で立ち寄ったトイレ休憩ではバスを降りると用足しもそこそこに鳥探しである。クロヒヨドリが多い。日本のヒヨドリより少し小型で黒い羽毛と、赤い嘴と脚はシックで印象的である。私のお気に入りの鳥になってしまった。「渡辺さん、肩を貸してもらえんじゃろうか?」岡山語である。快く応じてくれた渡辺さんの肩に大口径をのせて撮影、ばっちりと決まった。

 

台湾のトイレはきれいだ。日本とは違って男性用のトイレも足元に雫が溜っている事はない。

南澳、清谷園で昼食、港町で魚が美味しくて、刺身が食べられたのがうれしい。陳さんの案内があって南澳原生樹木圜で探鳥する。園内はクスノキがほとんどで雰囲気の良い林ながら鳥は少ない、シロガシラ、クロヒヨドリがほとんどであった。シロガシラは以外と人に対して警戒心が強くて撮影しづらいようだ。向かいの山を飛んでいた猛禽をカンムリワシと誤認してしまった。後で写真判定してハチクマとわかる。

 

宜蘭より烏来への道路沿いの山では大型シダのヘゴの数が多く,さながらジュラシックパークの世界を見ている趣がある。

烏来郷では箱根とか雲仙とかどこかの国の地名と紛らわしい看板が目に付き、親日的な国であることがわかる。

 

烏来名湯温泉会館に到着するとさっそくルリチョウの出迎えを受けた。深い紺色が何とも言えない。ロビーに入る前に盛り上がってしまった。

部屋を割り当てられると大口径を持って外へ、谷川は水が透明で水量もまずまず、小魚も沢山いる。日本の渓流と同様であった。

カワビタキ♀が見つかったものの遠く小さいのと環境と色が紛らわしくて写真にならない。♂も出たようだ。

部屋の風呂は素晴らしく大きくて、一人で入るにはもったいないが、シャワーしかなかった山のロッジでは得られない満足感に浸ることとなった。

 

5日目:5月28日 烏来→台北

 

早朝5時から付近を散策する予定だが、急坂なので私は杖をついて皆の後に付いて行くのがやっとである。カメラは重い大口径レンズしか持って来てないので携帯は無理な話であった。急な坂道では目線で鳥を撮影出来る。鞍馬山とここ烏来で一番有効なレンズの予定であったのだが・・・。

しばらく重い脚を運んでいると茂みから何やらオオヨシキリに似た鳴き声が聞こえる、シロガシラらしいが姿が見えない。民家の畑の竹の杭にヒメマルハシが止まってポーズをとっている。電線にはベニサンショウクイが、見るだけでいいか・・・。写真は濱さんと香西さんに任せよう。

行き着いた所でタイワンオナガが木の枝でポーズをとっている。さらにベニサンショウクイの♂♀が現れる、巨大な神木(熱帯性のイチジクらしい)には小さな鳥がちらちらしているがよく分からない。

 

又事件が起きた。下から上がって来た渡辺さんに「Bさんがイヌに咬まれた」と聞かされたが、狂犬だと大変なことだ。心配だ。

 

とにかく我々は鳥を探して歩く、小さな地味系の鳥が枝に止まっているのが見えた。アオハナドリらしい。ところがここはBさんが咬まれたイヌがいる場所で、白い大きな雌犬と雄犬が通り道に頑張っている。香西さん、濱さん、田内さんのご主人は内心気にしながらも素知らぬ顔で撮影を続けているが、田内さんの奥さんはそうはいかなくて、鳥は見たい、イヌは恐い、少し怯えているようだ。雌犬が私に近づいて低くうなっている。こういう時はどうすればよいか奥さんに手本を見せなければならない。

 

いきなり「ウー、ワン、ワン」大きな声で吠えた。私が、である。イヌはびっくりした表情でたじろぎ黙ってしまった。同様に雄犬も撃退した。雄犬の後から子犬が5〜6匹よちよち出て来た。子犬を守る親犬の行為だったのだ。狂犬でなくてよかった。Bさんは大丈夫、心配ないだろう。

 

こういった場所に限って鳥が出るものだ。ヨシの茂みでさかんに鳴いているのがチャガシラだったかヒメマルハシだったか?それに台湾野鳥圖鑑では記録のない鳥のタイカンチョウ(かご抜けか?)がいた。

すこし下ると田内さんの奥さんが「ヤマムスメが出た」と興奮した様子だ。数羽のヤマムスメが群れている。やっとあこがれの鳥に会えた。逆光で写真にはならなかったようだ。

 

会館に戻ると「Bさんは頑固な人で病院へ行ってくれない」、と陳さんが嘆いていた。私が見ても小さな傷で、病院に行くほどの事はなさそうだ。台湾には狂犬は無いそうで、陳さんの消毒だけで済ませた。

 

朝食のあと台北へ。

昼食は台北の康華大飯店、都会のレストランだけあって、日本人らしきオバさん達も見られて、店員も簡単な日本語で応対できる。

忠烈祠へ参拝、革命の戦いで無くなった兵士を祭っているところだそうだ。日本の靖国神社のようなものらしい。直立不動のマネキンのような衛兵が左右に立ち尽くしている。アーリントン墓地をまねたものらしい。門をくぐると正面のお堂まで100m以上、芝生の広場である。ここでもわが探鳥団は鳥を求めていっせいに活動を始めた。シロガシラは人慣れしていても警戒心は強い、シマキンパラが一羽スズメに混じっていた。

 

続いて台北植物園を見学する。都会の公園だが自然の植生を考えてつくられていて鳥の種類も多い。散策する人も多くて地元のバードウォッチャーが盛んにカメラ片手に撮影を楽しんでいる。ただレンズは小さなものがほとんどで、私の大口径は気になるようでした。気軽に話しかけてくる人もいるのだが、話が通じないためお互いに液晶のモニターを見せ合って、したり顔でうなずく、これも国際親善だ。ゴシキドリも営巣していて、カメラマンが群がっているのも日本と同じ、監視員が注意して回っていた。

梢にクロエリヒタキらしい鳥がいるのを見つけて注視していると、私の回りに人だかりができた、野次馬精神も日本と共通である。

ゴシキドリ、タイワンオナガ、ズグロミゾゴイ、シキチョウ、ツミ、クロエリヒタキ、バン、カノコバト、などが見られた。


 

國王大飯店にチェックイン、夕食は陳さんの案内で外食。

今日まで6日間続けて運転してくれた黄さんとはこれでお別れになる、ご苦労さまでした。

 

6日目:5月29日 台北

朝食を済ませて陽明山へ、今日から運転手さん呉さん。まだ若い運転手さんで、大型バスに陳さんを含めてたった12人だが、代金はあまり変わらないとの事、

大名気分だ。

 

陽明山は海抜500m程の高級保養地にある公園で、園内に入るとすぐにルリチョウの出迎えを受けたが近過ぎてどうにもならない。とつぜんお目当てのヤマムスメの群れがあらわれ、撮影準備の出来てない私はすっかり慌ててしまった。大口径と三脚をカートにしっかりくくりつけていたので取り回しの悪い事この上なく、レンズの選択を間違えたとしかか言いようがない。

ここも地元のバードウォッチャーが沢山いて年齢層は日本と同じく高い、親切に自分で撮影した鳥をモニターで見せてくれる。ヤマムスメを探しているのだが見つからず、タイワンオナガの番が巣材を運んでいるのを撮影したり、カンムリワシが飛でるのをねらったり、そうこうするうちにヤマムスメが沢山いるという連絡をもらった。

 

そこには巣立ちビナが2羽いて、地元のカメラマンが数人たむろしていて親鳥が現れるのを待っていました。私もどさくさに紛れて2枚撮影してから少し離れて待機することにした。

 

ヤマムスメは子育てにヘルパーが協力するらしい。数羽の鳥が入れ替わりやってくるようだ。クロヒヨドリの夫婦が近くに営巣しているらしくて、うるさくモビングしていた。それでも餌は運んできて、目の下にいる人達を警戒しながらもヒナ鳥に与えているようだった。私の500o+1.4倍のテレコンスタイルでは入りきらない。長い尾羽の先がいたんですり切れたのが多く、尻切れとんぼのドアップ写真ばかりになってしまった。足環をしているのは生態調査のための識別のためだろう。

次に枝に止まったズグロミゾゴイを撮影してから陽明山公園を後にした。

 

日本の帝国ホテルに相当する大ホテル、円山大飯店で昼食だそうだ。山田さんの計らいらしい。

時間が早いという事で蒋介石総統の私邸だったという公園に案内してくれました。広くて奇麗な公園で訪れている人もまた多い。色々なモニュメントがあって楽しい、ゴシキドリが鳴いている、しかもあちらこちらで数が多く、繁殖しているようだ。こんな町の中の公園だが、案外安全なのかもしれない。オウチュウも沢山見られた。

 

いよいよ円山大飯店、ださい服装で汗の匂いをぷんぷんさせて本当に大丈夫か、玄関に5〜6人の従業員がずらりならんで出迎えてくれた。少し入り辛い。

凄い所だ、VIPの気分で奥へ進むと大広間のレストランへ通じる。予約席にすわって落ち着いてみると、まあ、こんなもんだ。

蒋介石

 

円山大飯店をあとにして、今度は故宮博物院の見学。蒋介石が大陸から持ち込んだのだそうだ。世界四大博物館の一つと自慢げにおっしゃる。大勢の人達で賑わっていて日本語も聞こえて来る。中国の歴史に従って展示してあって興味をそそられる。正直、焼き物は私の家で使っている物とどう違うのか疑問に思う所がない訳でもない。絵や書、細工物などの美術品も凄いが私的には歴史的変遷のほうがずっと興味深く中国の奥の深さに改めて敬意を覚えた。

朝から別行動でここへ入り浸っていた北村さんと再会できた。熱心に見入っている姿が印象的だ。

夕食は適当に買い食いしてから陳さんに連れられて夜市を見物する。町の印象はスクーターの氾濫というか、ものすごい数で歩道はスクーター置き場となって途絶えることがない。車の駐車違反は当たり前、一種の無法地帯の体だが治安はいいらしい。

 

さて夜市、アーケードの中はあらゆる食物屋さんがびっしり店を構えて、調理しながらのかけ声がうるさい。活気に溢れていて人々がはみだしそうだ。田内さんの奥さんがチマキにこだわって購入、我々もつられて次々と買ってしまった。外に出てからは果物屋さんで大きな甘いマンゴーを皆が買ってしまった。一人が買うと皆が続くという構図ができているように思う。

ホテルに帰ってから、私は一人部屋なので一人で大きなチマキとマンゴーをたいらげてしまった。もう動けない、動く必要もない。


 

7日目:5月30日 台北→関空(成田)→岡山

 

今日は台湾最後の日だ。早朝の町をウォッチングしようと一人でホテルを出て、まずは前の小さな公園を散策、カササギとオウチュウが至近距離で営巣していた。オウチュウの巣は他の場所でも見かけたが日本と違いカラスがいないので安心して子育てが出来るのかもしれない。

 

通りへ出てしばらく行くと6時過ぎの早朝というのにすでに歩道に店を出して、マネキンをずらっと並べ、何と女性の派手な下着を売っている。私には理解出来ない。裏通りはやはりごみごみして少しヤバそうである。公園へ引き返すと濱さんがカメラ片手に鳥撮に目を光らせていた。濱さんの撮影に対する意欲と行動力は素晴らしい。

 

朝食の後マングローブの湿地がある関渡自然公園へ。台北のはずれの河口に開けた広大な干潟である。シギチの渡りの季節ではないので鳥の姿はなく、ダイサギぐらいしか目につかない。マングローブの中からクロトキが出てきたが泥で汚れてきたない。

 

場所を葦原へ移して見て行くとコヨシキリのような鳥が見え隠れしている。鳴き声は可愛い。アオハウチワドリとわかった。葦原では一番数が多くてあちらこちらで忙しく飛び交っていて落ち着かない鳥だ。シロガシラもいてオオヨシキリのさえずりと紛らわしいが、オオヨシキリは日本へ渡ってしまったのか一羽も見られなかった。1キロ程歩くと湿地の鳥の探鳥コースへ入る。カートで運んでるのだがレンズと三脚の重さが負担だ。

 

観察小屋があってここから池を見渡せるようになっている。ゴイサギやダイサギ、コサギ、それにカルガモとバン、カワセミも見られたがどうってことはない。前面の葦や灌木でアオハウチワドリが激しく縄張り争いを繰り返しているのが見ていて楽しい。マミハウチワドリも出たがすぐにアオハウチワドリに追い払われてしまった。目の前をヨシゴイが飛んで行った。ダルマエナガを見る事が出来なかったのは私だけなのが悔しい。バスへ帰った時には暑さのため背が汗でべっとりとして気持ちわるかった。

 

空港近くの桃園城市商旅(台湾料理)で最後の昼食となった。陳さんが搭乗手続きを済ませてくれて、成田組と別れ、名残惜しみながら台湾をあとにした。

実を言うと台湾をあまり知らなかった。今回は北側半分だけだったが、これだけ魅力があるのだからぜひ南もと欲がでる。

 

台湾で出会った昆虫



 

96種類の鳥を見る事ができました。繁殖期という事もあり鳥の種類が限られていたのではないかと思われます。渡りの季節ならもっと沢山の種類が見られた筈です。

亜熱帯と亜寒帯が垂直に分布する台湾は生物が多様で魅力に溢れて興味が尽きませんでした。腰、足の関節が不安であまり海外へは出ない方がいいと考えていますが、台湾に関しては日本の延長という感じなので、又の機会を期待しています。




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