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6/2//2013  材料技法

日本画研究会 最終回

■ 2010年4月に第1回が開かれた「日本画研究会」。ありがちな名称ですが、画家の集まりではなく、近隣の学芸員さん他、研究に携わる方々が、日本画に用いられている材料や技法など、そのもの自体に実際にさわって、そして描いて体験してみようという集まりでした。誰の紐付きでもなく、それぞれの自主的な参加でしたが、それ故に自由な交流、情報交換も可能となったように思います。材料や実際の作業をお見せしたり、指導すること(専門家ばかりでおこがましい限りですが、、)で関わらせて頂きました。さて、その「日本画研究会」の開催も丸3年を越えました。昨年度内の開催が調整つかず、のびのびになっていたのがつい先日行われたのです。皆さんお忙しい方々ばかり、日程の調整作業も大変だったことと思います。ここで一区切り、先日最終回を迎えました。
 
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第一回は古典的な日本画制作に用いられた材料、道具、作画のプロセス確認を行いました。
第二回は、紙素材による違い、ドーサ、墨などの関係を実際に触って感じてもらえるようにそれぞれのサンプルを準備ました。画像はその準備風景です。当時の紹介が残っていました。
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2010/050701/index.html

それまでにも展覧会ほか、何かしらご縁のあった方々も多かったのですが、こういった機会が出来て以後の関係では、お互いより疑問に対する具体的な取り組みが進んだように思います。
私自身も講演会やワークショップを頼まれ、そのテーマについて考えたり、調べたりすることも、また私の疑問を解く作業となりました。

 
最終回、小野竹喬さんの描法を試してみるサンプル まず木炭であたりをとっています。
>> 最終回、小野竹喬さんの描法を試してみるサンプル まず木炭であたりをとっています。 (37.95KB)

私の「日本画」とはどんな存在なのかを探す試みは、手がかりとする絵と同じように実際に描いてみようとする作業を通して行ってきました。

この作業を続けるうちに、姿、形を単に真似するだけではなく、絵描きの真似というのは、その作業の時間自体を捉えることが重要だと次第に強く思うようになりました。線の力、色、まさしく水墨絵画のそれは、シンプルであるだけにそれこそが勘所となるのです。

 
ガイドとした木炭を払い落とし、線描き、墨書きです。このあと、地塗りを行いますが、以前試みたように海には地塗りを行いません。
>> ガイドとした木炭を払い落とし、線描き、墨書きです。このあと、地塗りを行いますが、以前試みたように海には地塗りを行いません。 (43.53KB)

思えば学生時代の模写課題の折、自分が思う似せ方をしようと試みていると、画塾出身(大学制度で学ばれる以前の先生がおられたのです)の先生からの言葉が印象深く残っています。「模写には二種類あって、君は絵描きの模写をしようとしているんだね」そんな内容でした。

ヘタなりに筆の速度を捉えようと試行錯誤していた時だったのです。

この研究会が縁で、古典的な描法を改めて調べる機会もいただきました。その過程では、運筆や、粉本といった言葉に対する自分なりの具体的な理解ももらえたように思っています。また、幸運にも尾形光琳の技法研究、作画を試みる機会もいただくことになりました。出会いに感謝するばかりです。
 

 
海の群青、緑青、空の雲、並行して作業は進行しています。
>> 海の群青、緑青、空の雲、並行して作業は進行しています。 (110.72KB)

最終回の研究会では、琳派を象徴するような代表的技法、「たらし込み」も試しました。最初の頃にも行い2度めの体験となる試みでしたが、指導する私自身の中で前回とは違った思いが強く働いたように思います。それは、一昨年の尾形光琳、紅白梅図の描法再現を経たことと無縁ではありません。
 
「たらし込み」とは、まさしく「描く行為が水とともに在る」ということを実感する技法なのです。雨が降って川となり、そして海に出、そしてまた雲になり、空に帰る。紙の上に意味をもって置かれた水、その中に注ぎ込む比重の違う絵の具達、自由にそれらを動かし、美しい発色をさせるためには、「水の時間」、「自然の理」を知ることが重要になります。いつまでも触っていては、美しい色は出せません。限りのある時間なのです。筆に伝わってくる感覚、身体の共感。それは江戸時代も、昭和も、そして平成の今も同じ。生まれ、そして死ぬ、人間も限りのある時間を生きています。人間も自然の一部、そのことを「水」をいかに使うかということを通して実感する。水の性質を時間軸として捉えたら、現実の時を超え、ある種の普遍性を知る技法ではないかと思うようになったのです。

琳派とは、単に姿形の継承だけではなく、そのことに気づき、時を超えて共に喜んだ人々ではなかったか。私の勝手な思い込みかもわかりませんが、そんなことを思う今日このごろなのです。

技法、使いこなしのみならず、和紙、絹などの支持材、絵の具、筆、刷毛、先日の膠にしても、長い年月、それぞれの場で、それぞれの方々が時を超えて作り上げてきた自然との関係にほかならないのがこの国の美のあり方のように思います。自分だけの問題では無く、社会との関わり方も考えさせられる、そんなことも教えてくれた「日本画という言葉」なのです。

日本画研究会参加の皆様 本当にありがとうございました。