10/5//2006 展覧会案内・感想  
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愛される人、浦上玉堂

岡山生まれの文人画家、浦上玉堂の大規模な展覧会が岡山県立美術館で開かれています。大変多くの作品が様々なところから集められており、並大抵では無い、開催への大きな熱意を感じる展覧会となっていました。必見です。

場所 岡山県立美術館
会期 平成18年9月29日(金)〜10月29日(日)

 

浦上玉堂 展案内資料を撮影
■ 浦上玉堂 展案内資料を撮影
 

■ 文人画と言われても、今時どんな絵画なのかわからないというのが多くの方々の正直なところでしょう。作品を描くのに用いられている画材を見ると、多くは紙や絹に墨を使って描かれていることがわかります。文章で伝えようとするなら、世間でよく言われる所の水墨画というイメージが一番近いのかもわかりません。

 200点を超える出品数と聞くと大変疲れそうな印象を受けますが、会場は不思議と静かで心地よい空気に包まれているように感じます。

 どこから始まり何処で終わるのか、滞りを感じさせない筆の動き、連なり、音楽と形容される方がいらっしゃるというのもわかるような気がします。絵画様式がどうだとか、技巧がどうだとかといったことを全て忘れて絵に遊ぶ、どの絵にもやわらかな自然の空気が流れているように感じました。


さて、タイトルにした<愛される人、浦上玉堂>について。

 ゆったりとした空気の流れを絵に感じながら会場を一回りして、ふと全体を見渡してみると会場に華やぐ鮮やかな色がたくさんあることがわかります。水墨画なのに色?。もう一つの今展の見所、どの作品も素晴らしい表具が施されているのです。

 日本には本紙である絵、また墨跡そのものを楽しむのと同時に、その表具も合わせて楽しむ文化があります。それは表具をどのように行うかが所蔵家のその作品への思い入れや、評価を現しているからに他なりません。印金、金襴、豪華な名物裂を使い、細心の配慮でデザインされ表装されたその姿は、いかに浦上玉堂作品が愛されているかという現れにほかならないのです。

 たしかに国宝となった作品もあるのですから、それに応じた格を求めてという一面もあるでしょうが、江戸時代の作家であるのにも関わらず、いまだに多くの個人所蔵家がいるという一面だけをみても、愛され大切にされていることがわかるような気がします。

 長い年月をを越えて、その作品が生き続けるのは、そのおりおりの専門家・権威といった方々の評価もさることながら、その作品を愛し、大切にされるひとりひとりの所蔵家の存在があってこその姿なのです。



 50歳で脱藩、絵はもちろん七弦琴を弾き漢詩、書をしながら放浪の生活を死ぬまで送ったのだとか。何事にも囚われず「自由になりたい」誰もが何処かであこがれるような生活ではあるのですが、現実問題、生活のこと、世間・身内の反応、なかなか踏み切れるものではありません。そんななか文人どうしの交流をたよりに踏み出した放浪の生活。当時としては高齢の76歳まで生きたのだとか、きっと行く先々で大切にされたのでしょう。なにごともプロと見なされることを拒絶したのだそうですから、愛されたのはこと、もの、作品のみならず玉堂自身だったように思います。

『愛される人、浦上玉堂』


 今回、これだけの大規模な回顧展が行われる事自体をみても未だに玉堂が愛され続けていることがわかるのです。

 

※大きな作品、確かに見応えがありますが、小さな作品もそれぞれ見飽きぬ魅力を感じます。踊るような幹、ふるえる細い枝、松葉、繊細に描かれる表現それぞれ、どの絵も自然の持つ「気」の存在を感じさせてくれるようです。山懐に抱かれる「山中読書図」何時の時代も変わらぬ思いを感じました。


※ 川端康成が愛したという国宝「東雲篩雪図」は17日〜1週間の展示だそうです。

10月20日追記、「東雲篩雪図」見てきました!。同じ陳列棚に並んだほかの作品と明らかに異なる階調の存在。いわゆる背景となる部分にも墨が入り、山が白く浮かび上がる描法は、ほかの絵にない独特の空間となっていました。そしてやわらかい!。木の描写の繊細さ、何度も薄い墨が重なる震え。
見てよかったです。


※大変立派なカタログも作成されています。
(ただし、カタログでは表具のすばらしさはわかりません^^; また、実物でしか味わえない柔らかさ、階調の豊かさもあります。是非会場に足を運ばれ自分の目でご覧になることをお奨めします。)

※関東では
 千葉市美術館 11月3日〜12月3日
 開催予定だそうです。

 


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