4/2//2008 展覧会案内・感想  
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広島県立美術館 日展100年

仕事で訪れた広島でした。この展覧会を見に行った方と前日出会ったこともあり、また、昨年、東京:国立新美術館で開催されたおりに友人から話を聞いていたこともあって、これも何かの縁と最終日(3月30日)の朝、雨の中、広島県立美術館に向かいました。

東京上野は桜が満開とニュースが伝える中、広島は冷え込み、寒かったです。 
 

日展100年 展カタログ表紙
■ 日展100年 展カタログ表紙
 

■ 「日本画」と現在呼ばれている存在を考える時、この言葉が生まれた時代背景を見渡すことは重要な意味を持っているように思います。

特定の個人の変化の中に何かを見つけようとするよりも、ある意味で団体展の全体像を俯瞰するようなこの展覧会は、現在、私がこだわり、探している何かをより明らかにしてくれそうな期待がかねてよりあったのです。
 
「日展100年」の時間、洋画、日本画、彫刻、工芸、書、それぞれを一望にできる貴重な機会となりました。
 


広島県立美術館2回ロビーよりの眺め、桜が咲いていました。
■ 広島県立美術館2回ロビーよりの眺め、桜が咲いていました。
 

■ まず思ったのは、現在「洋画」と呼ばれている存在が最初から自分の国のこと、この国の価値観と向き合おうとしていたのではないかということでした。

描くテーマになにを選ぶか?

日本画と呼ばれている存在は、案外、当時素朴に西洋を吸収できたように思うのです。それはどちらかというと技術的な問題が主であったからと言い換えてもよいでしょう。
 


ホテルそば、川沿いの西洋屋台の様子。夜の華やかさは今はありません。
■ ホテルそば、川沿いの西洋屋台の様子。夜の華やかさは今はありません。
 

■ しかし、だからといってその行いが単なる西洋の価値観コピーの仕事になったかといえばそんなことはなく、逆に古くからの手仕事の部分が担保した何かによってより革新的な姿となって多くの鑑賞者の目に映ったように思うのです。

もう一方の洋画は、「英語がしゃべれたからといって国際人かというと、そうではない」というような言葉で表される問題と最初から向き合っていたように見えます。早くから日本の神話などに描くテーマを求めた作家もいました。
 
こうしたことが日本画家の間で強く意識されるのは、ヨーロッパへ実際に旅立ち、現地を見て帰って来た作家たちの制作に見られるようです。


カトリック教会
■ カトリック教会
 

■ 工芸的な価値観、手仕事が担保していたこの国の伝統。

和紙と呼ばれる存在、筆、刷毛、それらの使い方、そして表具。徒弟制度の中で意識されないまま継続されたそれら中に、言語化をあえて必要とせず、もしくは意識されずある種の競争力が存在していたように思うのです。


ふと気づけば現在、洋画も日本画もある意味でその呼称、存在さえもどうでもよいといえば言い過ぎですが、単なる平面上の表現バリエーション程度の意味しか持たなくなって来たように思います。

しかし、作品自体の存在を超えて、おぼろげながらではありますが今の時代に提案できる何かがこの変化の過程に見つけられるように感じる今日この頃なのです。

 


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